日本明慧
■印刷版   

河北建築大学の教員・楊風蓮さんが再び強制連行された

(明慧日本)河北建築大学の教員・法輪功学習者の楊風蓮さんが8月13日自宅で家事をしている中、公安邯山支局開元出張所の悪党警察に強制連行され、現在邯鄲市第二監禁所で監禁されたままである。自宅にあったパソコンやプリンターも7月18日の強制家宅捜査で奪われた。

 楊風蓮さんは、元河北建築大学技術学院(現河北建築大学)の都市建築学部の高級技師で助教授である。修煉前は癌患者であったため、各地を回り治療を受けていたが治らなかった。北京での入院は一回で何カ月にも及ぶが、なかなか治る見通しは立たなかった。幸運にも1999年の春、大法と出会い、修煉をはじめてから間もなく全身の病気(癌)が痕もなく治っていた。仕事にも復帰し、大学で『優秀な教員』賞を受賞した。

 2000年10月1日、楊風蓮さんは北京に入り政府に対して迫害を終止して欲しいと訴えたため逮捕され、北京の監禁所に監禁され、不法に1年間の懲役を下され、石家庄労働教養所第五大隊で過酷な労働を強いられた。楊風蓮さんは無実の罪を着せられ1年間が過ぎてやっと釈放された。しかし半年後の2002年の正月17日、大学の法輪功への迫害を担当していた悪魔の楊金廷、書記の李万慶、都市建築学部長の張子平、治安処長の毛瑞新と建築大学事務局長の張玉芳に騙され大学まで呼びだされた。彼らは楊風蓮さんを石家庄の洗脳センターに連行し迫害するつもりだったが、楊風蓮さんは自力で脱出して自宅に戻った。しかし、それから1年間自宅軟禁生活が始まった。入居しているマンションの下に、当局が配置するスパイが24時間監視し、開元出張所の悪党警察は何度も自宅に侵入しようとしたが、楊さんと家族が強く抵抗した為に失敗に終った。

 2002年11月2日、建築大学の党書記・江便良(50歳)は邯山支局公安政保科長の党殿軍ら30人と組んで、リフトで楊さんが住んでいるマンションの6階まで上がって、窓を破り、家に突入し楊さんと娘さんを強制連行した。何人かが同時に、2人を電撃棒で攻撃した後に邯鄲市第二監禁所に送り監禁した。楊風蓮さんは高圧電流の攻撃を受けて、頭が大きく腫れ上がった。手足には大きな傷跡が残った。10カ月の様々な残虐な迫害を受けて、2003年8月家族が2000元を強奪されて、やっと楊風蓮さんを連れて帰ることができた。

 建築大学の党書記・江便良(50歳)は、2003年8月再び強制連行しようとし、楊さんは彼に『善には善の報いがあり、悪には悪の報いがある』という道理を教えたが、彼の耳に留まらなかった。2003年9月27日、江便良と治安処長・毛瑞新が、楊さんが市場で野菜を買っている隙を利用して再び強制連行し、邯鄲市西環状道路洗脳センターで様々な迫害を加え、危篤状態の楊さんを家に帰さなかった。逆に、省の法制トレーニングセンターに連行し引き続き洗脳した。そこで、楊さんは悪党警察に攻撃され、口から血が出て止まらなくなり、命が危なかった。

 悔い改めることを知らない悪党の書記・江便良は2005年交通事故を起こして、骨を三本骨折し、道路を横断中の1人を殺した。誰もが、『善には善の報いがあり、悪には悪の報いがある』の道理に合っていると口を揃えて言っています。悪党警察の党殿軍と彼の助手の朱樹先も共に2005年に癌になって死んだ。悪党警察の高飛も脳出血で最近死んでいます。建築大学事務局長の張玉芳は、楊さんを迫害した罪で『善には善の報いがあり、悪には悪の報いがある』から逃れることなく、1人娘が2007年8月交通事故で死んだ。悪人の家族も彼らの起こした罪に問われている。

 2007年9月8日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/9/7/162249.html