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法輪功学習者・于溟さんは馬三家で迫害され危篤

(明慧日本)遼寧省瀋陽市の法輪功学習者・于溟さんは2006年北京で強制連行されてから、ずっと北京市団河労教所の警察に、さまざまな鼻や口から不明な物を注ぎ込むなどの残虐な迫害を受けた。両手と両足が真っすぐになり、曲げることができない。髪の毛は全部落ち、鼻と口から時々出血して、体は骨と皮しか残っていない状態にまでなっている。現在、法輪功迫害で悪名高い「死亡収容所」の馬三家刑務所の病院に連行されている。家族は彼の身の安全を非常に心配している。

 于溟さん(36)は、1997年に法輪功を修煉し始めた。8年間で、数回も不法に連行され、さまざまな虐待、拷問を受けている。1999年末に北京を訪れ、中共の法輪功の弾圧は間違っていることを訴えた。これにより、北京の警察に連行され、不法に2年半も監禁された。そのとき、北京の団河労教所に連れ去られ、残虐な拷問を受けて、体が畸形になるまで迫害に遭った。

 于溟さんは釈放されてからわずか数ヶ月間で、再び北京の警察に強制連行され、北京と唐山など数箇所の刑務所に監禁されていた。40人の警官が二列に並び、高圧電気が流れている棒(電棒)を手に持ち、一人一人交代で于溟さんを攻撃した。また、不明な薬物を飲ませ、服を脱がされ、裸の状態で女子監禁室に投げ入れられた。真夏には、鉄製のストーブの傍で特製の籠に縛られ、立つこと、座ることができない状態で三ヶ月間も拷問を受けた。続いて電棒で陰茎を攻撃され、水をかけられた後、体を動けないように固定し、アイロンで陰茎を焼いた。最後に体がぼろぼろになった于溟さんは家族に引き渡された。30歳の人が70歳のようになり、家族は于溟さんとは分からなかった。

 2006年2月11日、于溟さんは北京から車で瀋陽に帰る途中、警察に止められまた強制連行され、2年半の冤罪でまた北京市団河労教所に監禁された。2007年7月6日、于溟さんは遼寧省の「死亡収容所」と呼ばれている馬三家刑務所に連行された。消息によると馬三家刑務所に労働する受刑者が足りなくなり、北京から呼び寄せたという。于溟さんもその一人だという。馬三家刑務所の悪人は于溟さんが一年余りの断食で痩せ果てた体を見て、「食事の時間に食べないって、奴を下ろせ、我々はどんな方法もあるぞ」と恐ろしく叫んだという。

 于溟さんは現在、命が危篤な状態に陥っています。家族は于溟さんの命を非常に心配しています。家族の強い要求を受けて、今は馬三家刑務所医院に送られているが、三ヶ月経った現在、于溟さんの体に回復の見通しはない。家族は、ここでの高い医療費が払えないので、治療が続けられない状況である。

 2007年9月9日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2007/9/9/162357.html