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煙台、北京、保定の3人の法輪功学習者が迫害で死亡

(明慧日本)

 煙台の法輪功学習者・何文志さんは王村労働教養所で死亡

 山東省煙台市の法輪功学習者・何文志さんは2004年4人の悪人に連行され、「610弁公室」より2年の労働教養を受けた。シ博王村労働教養所で迫害され、白血病症状が現れ、2006年12月29日に冤罪が晴れないまま死亡。

 何文志さん(52歳女性)は、煙台市莱山区黄海事務所樗嵐村の人である。1999年春、幸いに法輪大法に出会った。それから心身に大きな変化が起きて、健康になり、勤勉で、周りの人に優しく、村中で認められた良い人で、舅・姑孝行の素晴らしい嫁だった。

 1999年7月20日以来、中共が法輪功を汚した為、何文志さんは3回北京に行って真相を説明した。そこで現地派出所、刑務所、黄海事務所、村治安室などに不法監禁されたこともあり、自宅でも24時間悪人により尾行、監視されて自由を失った。煙台で中央テレビ局からの記者が尋ねてインタビューした時、本人に会った事もなく、本人が知らない状態で、「煙台ラジオ・テレビ新聞」に彼女が既に大法を捨てて大法書類を差し出したと嘘を掲載した。

 悪党は長い期間に渡って彼女と家族を騒がし、威赫した為、何文志さんは流浪して身を落ち着ける所がなくなり、自宅には世話を必要とする高齢の老人が残されていた。その後老人の世話をする為に帰宅したが2004年の春、昼頃の人がいない時に4人の邪悪な警官により不法に連行されて、莱山区610頭目・張少栄、盖浩により2年の不法労働教養を言い渡されてしまった。

 何文志さんはシ博王村労働教養所で強制的に洗脳され、長時間寝かされず、全て法輪功学習者たちの身の回りには、1人毎に見張り役が配属されて睡眠、食事、飲水、トイレに行く時のあらゆる行動が監視されて、一歩も離れなかった。何文志さんは肉体的精神的に踏みにじられ、白血病となり、全身無力で、顔が真っ白なってしまった。

 2006年春、何文志さんは自宅には戻れたが、その後半年あまりの病痛のあげく、2006年12月29日に冤罪が晴れないまま亡くなってしまった。

 北京市房山区の法輪功学習者・王蘭香さんは迫害で死亡

 50歳あまりの王蘭香さんは生前、北京市房山区良郷鎮に住んでいた。法輪功を修煉して以来、身体が健康になり、畑仕事と家事も出来て、近所とも仲良くなり、皆からの評判も良かった。

 2005年のある日、数人の悪人が突然王蘭香さんの家に飛び込んで彼女を連行した。彼女が法輪大法修煉を堅持した理由で不法拘束して労働教養を言い渡した。王蘭香さんは長時間の監禁、迫害により多種の病気に罹り、重体になってしまった。2006年に保証人を立てて一時出所して自宅に戻ったが、数カ月経たずに冤罪が晴れないまま亡くなってしまった。

 河北省保定村民の馬文和さんは邪党の迫害により死亡

 馬文和さんは元河北省保定市満城県満城鎮城東村の村民で、満城県濃機器第二工場の社員であった。1996年、幸運に法輪功と出会い、「真善忍」の特性により自分を求め、癌で死を待っていた体から健康な人に一新されたが、2003年9月19日に邪党の村幹部の迫害を受けて亡くなってしまった。

 1995年はじめ、体調の不良で検査を受けた馬文和さんは、3カ所の大きい病院から食道癌と診断された。その後、石家庄第4病院で放射線治療を2カ月間受け、退院後には痩せて皮と骨しか残らず、軽い風邪にも倒れそうな状態になり、体調不良で薬物治療を停止したことがなく、天気が少し寒くなるとすぐリンゲル注射治療を行い、食物は液体食物を主にした。性格も荒っぽく、ちょっとした事で家族に怒るなど、元々豊かではなかった家族は昔の明るさを失ってしまった。

 1996年、馬文和さんは法輪功を修煉し始めてから法輪功の要求に従って「真善忍」に合わせたいい人に生まれ変わった。体が毎日強くなり、顔が赤くて艶々して病院とも別れを告げた。家族と一緒に食事ができるようになり、畑仕事も選ばず何でも出来るようになって、毎日明るい笑顔だった。

 法輪功が邪党からの理由ない迫害を受け、弾圧され始めた時、当時の在職中の村幹部はほとんどが馬文和さんへの迫害に参与した。主な村幹部には王福銀、郝会、王秋、康増保、在職会社では李振海、工場長の孔×(既に亡くなっている)、満城鎮からは名前不詳の関係者たちが参与した。彼らは絶えず馬文和さんの自宅に来て騒がし、夜には村の幹部らが監視を行った。監視中は頻繁に壁のそとから頭を部屋の中に伸ばして覗いたり、大きな声を出すなどして全家族が眠れなくなった。昼には所属会社の人たちが来て監視し、午後には鎮(町)の幹部と派出所が来て監視した。このように1日に24時間、交替しながら監視して馬文和さんの外出を制限した。その後、馬文和さんは信仰のため、数回にわたって故郷を離れて各地をさまよった。

 2001年12月22日の夜、村の公安数人がきて、派出所のものだと自称し、馬文和さんを自宅から強制的に連行した。何の法律的な根拠がないまま刑務所に15日間不法拘留し、約300元の「生活費」をゆすってからようやく釈放した。刑務所から釈放後も悪党はずっと騒がしつづけ、馬文和さんは精神的に大きな障害を受け、2003年に持病が再発し、2003年9月19日に亡くなった。

 2007年9月9日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/9/6/162211.html