精進してこそ師恩に報いる
(明慧日本)
一、法を得る前
30数年前のある晩、私は河北省の一つの小さい町に生まれました。1歳頃、重い肺炎が私の命をとるところでした。母はいつもその時の様子を大変で危うく命をとられるところだったと言っています。応急手当を施して、奇跡的に命をとりとめたそうです。それから私の成長に伴って数え切れないほどの病気で苦しみました。わたしはまるで漢方薬を煎じる土瓶のようでした。2000年前に、私は本当に病気のない体がどんな感じであるかを知りませんでした、もっともよく知っているのは薬の味でした。
小さい頃は家が貧しく、私の父母の気性はみな剛直でよく喧嘩をしていました。病弱の私はこのような環境で育ち、善良、敏感、よく気を回し、内気、臆病の性格になりました。私の性格は暗く、どんな小さいことでも半日ほど具合が悪くなりました。私は肉体的、精神的な苦痛以外に何も暮らしの楽しさを感じられませんでした。ただ夏の夜に、人々は外で涼み、年長の人たちがいつも奇妙な物語を好んで話し、私も聴くのに夢中になりました。しかし、私はいつも信じようとしても信じなかったような気がします。私は一人で空を仰ぎ、神様はいますか? 天の果てはどこにあるのかと思いをはせました。この時、私のすべての煩悩を忘れていました。
大人になって、私は仕事を見付け所帯を持ち、子供も生まれました。けれども、運命がこのため変わることもなく、結婚前、私はずっと私を気遣ってくれる夫を探したいと空想していました。しかし、夫は懸命に事業にうち込み、夜昼なしに働きました。家に帰ったら、まるで長距離の旅行客が旅館に泊まるように、家事もやったことがありません。常に私に一言「あなたは強靭に自立をして、他人に頼ってはいけない」と言いました。私は感情の乱れや肉体的な疲れのために身体の状況がさらに悪くなりました。
1999年の時、私の乳房にこぶがいっぱい出てきて、医者は楽な気持ちで、薬物治療をしなければならない、さもなければ癌変の可能性があると私に告げました。また外の病院の近代的な器械で乳房透視検査をしましたが、影があり、医者はカルテに重く書きました。私の気持ちはとても重く、それから毎日薬から離れられませんでした。始まりは漢方薬で、数カ月飲んでも体が衰弱し出勤さえできなくなり、効果があがりませんでした。それから西洋医薬に変わり、何百元もかけましたが、時にはよくなっても、結局もとに戻ってしまいました。
二、法を得た喜び
私は漢方薬を飲む前に、法輪功をやっている同僚が「法輪功をやってみてください」と私に教えました。私は先に病気を治さなければならないと言いました。その時大法の事もあまり分からず、同僚も深く言いませんでした。1999
年にテレビで天地を覆い隠すように大法を誹謗する前日の朝、私は忽然と一種の衝動に駆られ、切に法輪功の本を読んでみたいと思い人に探してもらい、小さい本屋から4冊ぐらいの本を探してもらいました。それは先生の各地での説法でした。私は一日中本を読み、身を入れて読みました。翌日、テレビによくないものが放送され、私はそれを見ながら理由なく泣かんばかりでした。それから本を収納しました。(貸した本はすべてあげました。)
2000年9月、私はもう薬など飲みたくありませんでした。いままでいろんな薬を飲んだことがあるので、飲まないことに決めました。ある日、会社へ行く途中、大法を修煉する同僚に会いました。彼女は「法輪功の本を読んでみましょうか、大法は本当ですよ」と私に教えてくれました。私は「いいですよ、私の母のところに一冊の『転法輪』があります。日曜日に取りに行きます」とさっぱりと返事をしました。母のところの一冊は大法ブームの時、本屋さんの親戚がくれたのです。今は誰も読まずに置いたままでした。
日曜日の早朝、私は母のところへ行きました。家族が私の子供の面倒を見てくれました。ご飯やトイレの時間を除いて、一日中私は本を読みました。疲れや眠気がなく、気も散りませんでした。午後5時ごろ、『転法輪』を全部読み終えました。このスピードはそれから数年間、法を学ぶ中で未曾有の早さでした。本を読んでいるうち、私の乳房の両側はずっとしくしく痛み、平素はこの現象がまったくありませんでした。いつもはときたま少し痛みました。私は大法の大半を信じました。ただ、心の中に些細な疑問があり、例えば「光年」の問題はまったく教科書と異なっており、また先生は本に「ある日、わたしが詳しく調べてみたところ、人類は八十一回も完全に壊滅された状態に陥り」とおっしゃいました。当時、私もこの「八十一回」はいったい正しいかどうかわかりませんでした。今考えてみれば、その時の自分の考えは大変不敬でした。
帰ってから、私は疑問を抱えてあの同僚の家に行きました。私の心の疑問を話し、「あなたたち」の先生は何々と言っていますが、という言い方をしました。ここまで書いて、わたしは涙がこぼれます。もし言った言葉を撤回できれば、真にこんなことは私が言ったことではないことを望みます。6年来恩師の慈悲なる済度を思い出し、人類の言語が尽きても私の感激を現せません。しかしその時、私は「師父」と言う言葉さえ言えませんでした。
同僚の夫も大法を修め、その時私に「最も尊いものは得難いのです。たくさんの人は、法を得ることに妨害があり、これらの障碍を乗り越えれば、法を得られるかもしれません」とこんな話をしました。私はその時、本を読んでいるうちにすべての疑問が解かれるようになりました。私は師父という言葉が出ない時でも、慈悲なる師父は私の知恵を開かせ、他人の口で私の心の塊りを解いてくださいました。同僚はまた紙に五セットの功法の口訣を書いて暗誦させてくれ、日を改めて煉功の動作も教えると言いました。帰る前、私に座禅の動作の模範を示してくれました。
翌日の朝、家族がまだ寝ている時、私は二階の部屋の床で座禅をし、両手で印を結び、私は第二セットの功法の口訣を黙念したときに奇跡がおこりました。私は何かが体に入ったことをはっきり感じました。それは法輪だと知りました。私の心はこの上ない荘厳かつ神聖さで満たされました。いかなる事も自分で体験すれば信じるようになります。今の私は切に感じました。私には法を得る障碍のすべてが存在しなくなりました。同僚はすぐ五セットの功法を私に教え、私の生活も全部よくなり、もともとの自我が変わりました。
三、法を学び、法を写す
私は体の病を忘れ、毎日時間を惜しんで法を学び、煉功しました。月に4,5回『転法輪』を読み、同修は私たちのところで鎮圧が始まった時、古くからの同修が間違って悟り、皆に大法の本を引き渡すようにと呼びかけ、たくさんの人が渡しました。今ここの大法の各種の本が極めて足りないため、私は手持ちの何冊かの先生の各地の説法を皆さんに読ませることにしました。しかし、たやすく私のところにもどってこないと心配し、本を写し始めました。
ノートを一山買い、毎日私は一定の時間をさいて写し、寝る時間が少なく、指も腫れ上がり、時には跪いて写しました。このような最も敬虔な姿勢であればやり抜けます。写したものは同修が持って行き、他の人に見せます。写す過程の中で、私は師父の説法の現場にいるような感じがしました。師父の説法を一遍に聴き、とても印象強いものでした。私が自分のを写した後、同修はすぐ私が読んだ事がない本を持って来てくれました。一遍を読んだ後すぐ写し、写したら返しました。それから、また一冊を写したらまた読んだ事がないのを持ってきてくれました。師父がすべてをきれいに段取りしてくださいました。私の心は法を写す過程の中で、だんだん大きくなっていきました。
四、大法は私に新たな生命をくれた
私は自分の体の病が何時治ったか知りませんでした。毎日たくさんの事をやり、私も自分が健康かどうかさえ思い出す暇もありませんでした。会社の毎年の女性職員の定期検査があり、法を得てから初めての健康診断なので、行ったら、結果的に大勢実施した人々の中で私は一番健康でした。医者から何の病気もないと言われました。
以前、春夏秋冬にかかわらずよく風邪を引きました。法を得てから今まで、6年間経ちましたが、私は薬一つたりとも飲まず、風邪の症状もほとんどなく体の状況もまわりの同僚に羨ましがられました。私も自分の体の変化から彼たちに大法が良いと伝えました。
体がよくなり、私が気を回したり、内気、臆病の性格も一変し、「真、善、忍」の基準に従って自己を正し、人に対して寛大な心を持ち、ことがおきたら内に向けて探し、疑いがなくなり、私は洪大な法の理を悟り、心に自信が満ち溢れました。自分を再び隠す必要もなく、私の家は別の場所に引越ししたところ、近隣から朗らかなおおらかな人であると褒められ、再び暗い夜も怯えず、再び人との付き合いにも怯えず、感傷的ではなくなりました。大法は私に新たな生命をくれました。
師恩に報い難く、唯倍に努力するしかありません。
五、少しずつ法を正す
(一)家庭を圓容しなければならない
以前、母親の実家では 私は彼らの負担であり、家へ帰ってからは横になり、何もしませんでした。今は母親のところに行く機会があったら、何でも手伝いをし、とりわけ年越しの兄弟団欒の時は、炊事や皿洗いは私が主役になりました。家族の皆が私の修煉の変化を見て、みな大法が良いと知りました。
姑のところでは、法を得る前に私は姑とそりが合いませんでした。法を得た後、各方面から姑を十分に思いやり、姑との間に再びトラブルを起こしたことがなく、姑は他人と話しているときいつも嫁が素晴らしいと褒め、私は大法があるからこそ私たちの家族が睦まじく、姑も大法のことをよく理解しました。
私は夫に対してなるべく寛容で、大法を誤解させないようにしています。子供には、私が法を得たところをすぐ彼に読んであげ、彼は大法の理に対して深く認識することができるようになりました。
(二)仕事の環境で法を正す
仕事では、指導幹部の言うとおりにやり、「優秀」、「模範」など何も争うことなく、与えられたら受け、なければ自然のままに従い、逆に以前より多くのものを得ました。平素は会社の需要に応じて積極的にやり、自分のすべての仕事をなるべくしっかりやり、指導幹部を安心させています。自己をいつも穏やかに保っています。あなたはなぜいつも朗らかでいるのかと同僚は私に聞きました。私は必要な時に私が大法を修煉している事を彼たちに伝えました。私たちの会社は何人かの大法弟子がいて、私たちの正念正行によって、たくさんの人が大法に対して正確な理解ができました。
(三)生活の中で法を正す
私たちは法を正す心さえあれば、師父が私たちに機会を与えてくださいます。私は野菜や果物を買った時常にお釣りを多くくれたり或いは物を多くくれた時、機会をつかんで真相を伝えます。ただし、私はいつも第三者としての角度で言い、大法を修煉する友達から学び、あるいはチラシを読んで他人のものを多く取ってはいけません。相手は往々にして法輪功を修煉するのは素晴らしいと言います.初めて言った時は言いづらく心配しましたが、しかし言ってしまうと、自然になりました。
六、困難の一歩を踏み出す
私は臆病の性格が大法を学ぶことによって取り除かれましたが、恐れる心が依然強くあります。私たちはここの資料点が邪悪により何回か迫害され、長い間ネットでダウンロードしたり、プリントアウトすることに人手がなく、師父の経文、週刊誌、資料もよそへ取りに行き、よその同修にも負担がかかり、取りに行った同修も圧力も受けることになりました。
私の内心の声は私が何をすべきか、しかし自分は直面したくない、甚だしきに至ってはなぜ条件がある同修がやるべきことをやらないかと考えています。師父は私を悟らせ、不平の心を放下させ、自分もパソコンを買いたいと思いました。問題に直面したのはパソコンを買うお金がなく、夫はお金があってもくれません。慈悲なる師父が私の問題を解いてくださいました。ある日、突然、夫が切り盛りしてADSLを設置させ、私はパソコンを買いに行きました。パソコンを買うことは三退の前に解決しました。他人の助けで私はネット封鎖を突破する事ができ、それから、師父が悟りを開かせてくださり三退声明と、文書の発送ができました。
前に資料を作っていた同修は迫害を受け、私もいろいろ気を遣いましたが、法を学ぶにしたがって、私の心がゆっくりと穏やかになり、大法に必要なことであれば私はやるべきだと思います。正真にやった時、なんらの恐れもありません。今、私は穏やかにやるべきことをやり、師尊の助けがなければ、私は何もできないと深く信じています。私は師尊から授けた機縁に大変感謝しております。
私にはたくさんの足りないところがあり、時に怠っていますが、私はなるべくよくやり、師父の慈悲なる済度を無にしません。
以上は私のわずかな体得で、不足のところは同修の指摘をお願いします。
2007年9月10日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2007/7/5/158234.html)
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