同修を救援する過程での心理状態についての思考 文/中国大陸大法弟子
(明慧日本)今同修を救援することについて、このような新しい会得があります。つまり、同修を救援することは普通真相を伝えることと同じように、慈悲と善の念を持って、穏やかに各方面の真相を十分に伝えなければなりません。ただ普通に真相を伝えることとの唯一の違いというのは、その中に共同な主題があるということを我々がはっきりと認識しなければならないことです。その主題を生かして、普通真相を伝えるのに必要な内容を導入して、人を救うのです。と同時に、普通と同じように正念を発しなければなりません。ただ狙いを定める標的に、もう一つはっきりとした主題を増やすだけなのです。
金剛不動で、確固たる正念を持たなければなりません。しかし、それは救援ということだけに限定するのではないし、真相を伝えることと発正念の主題と範囲を救援によって制限してもいけません。要するに、「事柄」と「目的」に執着せず、気を尖らせて用事を済ませるという心理状態ではなく、神の心理状態で如意に人を救うと、かえって迫害を更に徹底的に否定することになるのです。邪悪が大法を迫害してはいけないことから、大法弟子を迫害してはならず、邪悪がいかなる衆生を利用して犯罪をしてはならず、その事件の中の衆生が旧勢力の按排により壊滅されることを認めてはいけないということを連想し、またその考え方を第一に位置づけなければなりません。理想的な状態は、完全に事柄から抜け出し、人情と個人に関する要素、目的、認識から抜け出し、大法の基点に立ち、清浄無為で、確固たる正念を持つということです。
これらの認識がはっきりすると、普通に真相を伝える中で、同修を援助する真相もとことんまで伝えなければなりません。正念もとことんまで発しなければなりません。これも邪悪を徹底的に解体し、否定する自然な表現なのです。
以上個人の所見です。合掌。
2007年9月12日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/9/10/162404.html)
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