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瀋陽市:李効元さんは亡くなった4人の親族に継いで 迫害により死亡(写真)


 文/遼寧省法輪功学習者

(明慧日本)そろそろ中秋になる。過去8年来、この家族団欒の祭日は瀋陽市の李効元さん家族にとって、ただ涙と苦しみの記憶しかない。4年前、46歳の李効元さんは法輪大法の「真、善、忍」の信仰を放棄しなかったため、遼寧省関山労働教養所で迫害され死亡した。李効元さんが死亡する前の4年は、ほとんど中共政府人員によって、繰り返される逮捕、不法な監禁、拷問による洗脳の中で過ごした。李効元さんが監禁されている間、李さんの4人の親族は中共の迫害、圧力の下で相次いでこの世を去った。
遼寧省瀋陽市の法輪功学習者・李効元さん
優秀な技術工 熱心な修煉者


 優秀な技術工 熱心な修煉者

 李効元さんは、瀋飛第一鋳型工場の優秀な技術工で、同僚からとても尊敬されていた。法輪大法を修煉して、「真、善、忍」の法理と五式の功法により李効元さんは健康な体と、広い無私な心、大きな度量を得て、進んでこの功法をたくさんの人に伝えていた。1998年10月、李効元さんは毎朝4時に現地の二四二病院の法輪功の煉功点に行き、朝の煉功をしながら、無料で人々に功法を教えていた。煉功点にきて功法を学ぶ人はまもなく、初めの50数人から100人以上にまで増えた。全国では、1992年に法輪功が伝えされてから1999年までの7年間で、学習者はすでに1億人にまで増えていた。

 訴えるところはなく、連行されて拷問された

 1999年7月、中共の党首・江××は嫉妬心と権力に対する極度な執着から、法輪功に対する迫害を発動した。李効元さんは大勢の法輪功学習者と同様に、法輪功に対する迫害が間違っており、「真、善、忍」を学び、良い人になることは間違っていないという自分の内なる願いを表すために、自ら北京へ行った。しかし訴えるところはなく、却って中共の残酷な迫害に遭ってしまった。

 1999年10月、李効元さんは北京で連行され、瀋陽に連れ戻された。前後して現地の洗脳班と教養所に入れられて迫害された。2002年の旧暦新年の前、李効元さんは再び連行され、瀋陽張士教養所に監禁された。信仰を放棄させるために、教養所の悪辣な警官は彼に睡眠を与えず、衣服をすべて脱がせ、鉄門に吊るし上げて電撃棒で電撃し、激しく殴り、繰り返し冷凍室で凍えさせて虐待した。彼はずっと妥協しなかったため、最後に悪辣な警官は李効元さんを受刑者らと一緒に監禁し、奴隷のような労働強度の高い仕事をさせた。

 李効元さんとともに迫害されていた法輪功学習者の記憶によると、「2002年4月25日、李効元さんと王進民さん、張震武さんなどの法輪功学習者は教養所での非人道的な迫害に抗議するため、囚人服を着ることを拒否し、奴隷のような仕事をすることを拒否した。院長の程殿坤は「迫害グループ」を組織するように命令し、大隊長の楊樹に責任を持たせ、また10数人の受刑者らを手先に選んだ。四大隊の『401』室には強い光度のライトを設置し、拷問室を設け、『401』室に入った人は誰であっても、死ななくても皮膚を一層はがされる、と言いふらした。

 李効元さんは悪辣な警官・楊樹と受刑者らに12万ボルトの電撃棒で電撃され、殴られ、眠らされず、4昼夜連続して虐待された。李効元さんは殴られて体中傷だらけになり、全身が腫れて、自ら歩くことができず、トイレに行っても特製の椅子に座らなければならなかったという。

 張士教養所はずっと李効元さんに信仰を放棄させることができなかった。2002年5、6月の間、李効元さんは密かに張士教養所から遼寧関山教養所へ移され、2003年11月9日にそこで亡くなった。

 関山教養所で迫害により亡くなった

 関山教養所はその野蛮な殴り方、情報封鎖で遼寧省の労働教養所の中でも名が知られている。遼寧省昌図県の岩山の中に位置していて、遼寧省内の一部の労働教養所は信仰を堅持する男性の法輪功学習者をここに送って虐待していた。

 関山教養所は、法輪功学習者に対する迫害に積極的に参加した受刑者には刑期を減らすという奨励を与えていた。一部の悪辣な警官はわざと受刑者に、もし誰かが法輪功学習者を殴っているのを目にしたら、あなたも一緒に殴らないといけない、と教える。小号を管理する悪辣な警官・余力(音訳)は、常に夜になるとほろ酔い気分になり、法輪功学習者を指差しながら監視役の受刑者に「彼を始末しておけ、何か起きたら私が責任を取るから」といっていた。

 3万人民元を費やして警官を買収し、そこから出てきた受刑者は「あそこは人間地獄です。警官は電撃棒、手錠をわれわれに渡します。我々は、誰々を始末しておけと言われると、その人を始末します」と言った。

 李効元さんが迫害されて亡くなる前、関山教養所での迫害はエスカレートしていた。2003年7月、法輪功学習者に対する監禁と迫害を担当した7大隊は新型のパルス電撃棒を購入した。2003年10月16日、大連の法輪功学習者・朱暁非さんは囚人服を着ることを拒否したため、悪辣な警官に全身を電撃され、小号に入れられた。18日、朱暁非さんはどうしても囚人服を着ないという声明を書こうとしたため、悪辣な中隊長・呉占軍と受刑者らに前後して一昼夜ひどく殴られ、ショックを起し、血圧が急降下し、緊急に病院へ送られた。李効元さんが迫害されて亡くなる数日前、鉄嶺のひとりの法輪功学習者が、悪辣な警官・高啓龍に指図された受刑者にひどく殴られて重傷を負った。

 2003年11月の初め、李効元さんは関山教養所2中隊の監房から移された。数日後の11月9日、李効元さんの死亡が伝えられた。当時、法輪功学習者は監房を出ないように厳密に制御されていた。受刑者から伝えられた死因は、一つは「トイレで首を吊った」で、もう一つは「監房の中で刃物で首を切った」だった。この情報は矛盾しており、確かではない。

 記者がこの件で、関山教養所に電話をかけると、ある男性が電話に出た。彼は、記者に一度現地を訪れるようにと言って電話を切った。瀋陽市のある派出所の警官は、李効元さんはすでに死亡したと証言した。また内情を知っているある人は、李効元さんは両脚と腹部などに数カ所の傷を負っていたと証言した。

 李効元さんに対する迫害を主に担当していた中隊長は高啓龍、大隊長は田国軍、関山教養所の院長は高雷である。

 4人の親族が迫害の中で亡くなった

 李効元さんはとても母親孝行な息子だった。1999年10月、北京に陳情に行った李効元さんが捕まり、不法に労働教養所に入れられた時、李効元さんの母親は息子に会うことが出来ないため、心労で病状がますますひどくなり、最後には「効元」、「効元」と呼びながら、この世を去った。

 李効元さんの妻の両親もかつて法輪功を修煉して自ら受益した。1999年中共が法輪功を迫害し始めた後、2人の老人は現地の悪党人員の邪魔と圧力の下で、続けて修煉することができず、長期にわたる精神的な重圧、及び娘婿に対する心配の中で、2002年と2003年に相次いでこの世を去った。

 李効元さんの妻のお兄さんは親族が一人一人亡くなるのを見て、悲憤のあまり、母親がなくなって3日後にこの世を去った。李効元さんの妻は失業しており、息子を連れて苦難に満ちた生活を送っている。

 中共の残酷な迫害により、本来幸せだったこの家族は、4年という短い間に5人も苦しみの中でこの世を去った。しかしこのような悲劇は李効元さん一家だけにとどまらず、中共の法輪功学習者に対する迫害の中で、すでに少なくとも3084人の法輪功学習者が迫害により亡くなっている。空に浮かぶ白く冴えた月は、中国大陸で「真、善、忍」の信仰を堅く信じたために迫害され、不幸になった幾千幾万の家族を見ている。また中共の罪悪をひとつ残らず記録している。

 友よ、あなたの一家が集まって、月を眺めながら乾杯する時、あなたの心も白く照り映える月と同じく明るくて清らかであることを望む。あなたが片時でも、法輪功学習者らの心からの善を勧める言葉に耳を傾けることを望む。真相を知ることは、すべての人の権利であり、善悪をはっきり区別することは、正義、真理を堅持する人たちのためだけでなく、更に私たち自身のすばらしい未来のためでもある。

 2007年9月13日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2007/9/11/162478.html