保定市の董紅菊さん、第5回目に不法拘束される
(日本明慧)河北省保定市北市区白楼郷蔡庄村の法輪功学習者・董紅菊さんは、現在、保定市刑務所に不法監禁されている。既に断食抗議を開始して7,8日目になり、健康が心配されている。今回の迫害は第5回目である。
董さんは2007年8月27日の夜11時、自宅で保定市北市区分局の国保大隊と百楼郷派出所の7,8人の悪人により連行され、不法に家を捜査され、パソコン、プリンター、書類を没収された。董さんは現在保定市刑務所に不法監禁されており、既に断食抗議を開始して7,8日間経ち、健康が懸念される。
以前にも董さんは数回迫害を受けた経歴がある。2002年の夏、退勤して自宅に向かっている時、郷政府の人員により強制的に涿州洗脳班に連行されて迫害を受けた(当時妊娠2カ月だった)。洗脳班から正念で脱出したが又、放浪し身を落ち着ける所が無くなってしまい、自宅にも戻れない窮地に落ちた。子供が生まれる1カ月前、董さんが自宅に戻った時は、旧暦の正月が近づいた頃で、全家族が新年のお祝いをしている時で、白楼郷派出所の人が来て夫と一緒に郷派出所に行って手続きを済ませるように要求した。夫婦が派出所に騙されて行った時、区郷政府の職人は良知と正義を忘れ、憲法と法律を無視して董さんが分娩直前にも関わらず、親子の生死を考慮せず、その夜すぐ涿州洗脳班に連行して繰り返して迫害し、信仰を放棄するよう強制した。
董さんの義父は60歳を超えているが非常に健康で、毎日自宅の野菜ハウスで仕事をしていた。2003年大晦日、息子と分娩直前の嫁が悪党職員により何処に連行されているのかを心配して翌朝、郷に行って聞き、涿州洗脳班に連行されたことが分かった。老人は分娩直前の嫁を心配し、数日連続で郷政府に行って釈放するよう要求した。しかし祝日で、責任者がいなかった為、解決できず、老人は心が激して食べることが出来ず、病院に行ったが病因が分からなかった。老人は危篤状態にもかかわらず嫁に会いたくなり、家族はその要求を郷政府に伝えたが、悪党の職員は無視した。正月5日老人は悲憤がつのり、冤罪がはれないままで亡くなった。董さん夫婦は不法に20日あまり監禁された後、悪党の職員は数千元をゆすってから彼らを釈放した。その時は既に、老人が亡くなってから1週間も経った後だった。
董さんの自宅には60歳を過ぎた祖母と二人の幼い子供があり、家庭の負担が夫一人にかかっている。董さんは幼い時からの肺結核で重労働が出来ず、性格が荒っぽく、一人目の子供が生まれてからは身体が更に虚弱になり、冷水に触れる事ができず、すぐ関節が硬くなって、手が痙攣を起こすようになった。寒くて風邪のある日は更に外へ出られなくなり、毎年の医療費が少なくとも4千元以上かかった。家族のとんどの収入が治療費に費やしてしまい、生活はいつも苦しかった。あらゆる方法を試しても効果がない情況で1989年の秋、法輪功が病気治療に不思議な効き目があるという噂を聞き、半信半疑で保定浜河煉功場に来た。僅か十数日で全身硬直だった関節が正常に回復し、2カ月後には冷水で洗濯しても関節の痛みは感じられず、全身にパワーを感じて農家の仕事も出来るようになった。法輪功が董さんに心身共に健康をもたらし、家族に幸せと歓びをもたらした。
1999年7月20日、江沢民が嫉妬心から理由なく法輪功への不法迫害を開始した。董さんは北京に法輪功への弾圧は間違っていると陳情に行った時、公安により強制的に送還され、それから悪党たちは常に理由もなく自宅まで来て騒がし、家族の心がびくびくして日夜落ち着かなくなり、董さんは仕方がなく再び北京に行き、安定して合法的な生活環境を要求したが公安により拘束、打たれて全身が傷だらけになって見る影もなく変わってしまった。ようやく自宅には戻って来たが、また区卿悪党書記により洗脳班に連行されて迫害を受けた。董さんが断食抗議を行うと悪人は家族から4千元をゆすってようやく釈放した。
2002年新年明けに、董紅菊さんが煉功しない保証書を書かないという理由でまた連行され、不法に監禁されたが、正念により脱出した。しかし放浪し身を落ち着ける所がなくなってしまい、臨時の仕事などで生活を維持し、元々円満な家庭は悪人の絶え間ない脅しにより、自宅に戻れなくなり、全家族が恐れ慌ててびくびくしながら新年を迎えた。
2007年9月14日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/9/10/162411.html)
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