■日本明慧 http://jp.minghui.org/2007/09/14/mh144087.html 



四川省:キョウ星燦さんが迫害された状況の補足

(日本明慧) 明慧ネット2007年4月7日に「四川省のキョウ星燦さんは煉功したため繰り返し拘禁された」の文章が報道された。四川省徳陽市郵便局の従業員・キョウさんが2006年4月26日に連行された後の情況補足は以下の通り。

キョウ星燦さん夫婦が以前一緒に撮った写真

 2006年4月26日、キョウ星燦さんと他の学習者は一緒にタクシーに乗り、キョウさんの父の故郷——楽山井研研城鎮へ行ったとき、悪人に研城鎮派出所まで連行された。その時、キョウさんは1万2千数元の現金を持っていたが、今のところ現金は行方不明になっている。

 2006年4月30日、キョウ星燦さんと他の学習者は一緒に再度資中楠木寺労働教養所に拘禁された。教養所では意外にも4人の雲をつくような大男が現れ、キョウさんは無理やり3階の厳管室に閉じ込められ、残酷な迫害を受けた。キョウさんがずっと「真善忍」に対する信仰を堅持したため、教養所は彼女に対して残酷な迫害を行った。何日か後、彼女は苦しめられて外形も変わり、その上歩くもできなくなり、以前に迫害されて骨折したところは重病のため服役中の一時出所である程度好転していたが、再度甚だしく悪化した。たとえこのようになっても、教養所は依然として人間性がなく厳管室に引き続き閉じ込め、今なお苦しめて、厳管室の入り口から出されたことがない。今最近の状況がどうなっているかわからない。

 一、キョウ星燦さんの夫・牟勇さんは1998年に法輪功の書籍を読み、煉功して気持が良く、正式に煉功をしょうと決めたが、共産党内部の通達文書に法輪功をするのは許さないと書いてあるのを聞き、煉功する勇気がなく仕方なくやめた。キョウさんと夫婦であるため、牟勇さんは610弁公室、所属部門、派出所など各方面から絶え間ない圧力があり、その結果、最後には病気と強い心理的重圧に耐え切れず、2003年正月に亡くなった。年はまだ33歳であった。

キョウ星燦さんが迫害される前
服役中の一時出所の時

 二、さらにキョウ星燦さんが迫害される前と不法な労働による再教育時に迫害されて、腓骨の粉砕骨折で、服役中重病のための一時出所時の前後の写真を比較してみると、骨は皮膚を10数センチつき抜けており、10数針縫い合わせた。再度連行されて拘禁された時、まだ2センチの表皮が治っていない。

骨折したレントゲン写真
骨折したレントゲン写真

 2007年9月14日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/6/21/157301.html

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