■日本明慧 http://jp.minghui.org/2007/09/15/mh151056.html 



我々は迫害の終りを待ってはいけない

 文/中国吉林市大法弟子

(明慧日本)最近の明慧ネットではよく迫害を終わらせることについての会得が載っています。それを読んで、とても勉強になりました。またいろいろ考えさせられました。確かに、大法の中で精煉されている大法弟子は一つの全体として、師父が説かれた法理に導かれ、風雨に曝される中で師と法に対する正信を持って、躓きながらも、一歩一歩と歩んでいくうちに、だんだん成熟してきました。また同修の交流文章を読んで、私は法を正す過程についての認識不足、精進している同修との格差と不足も分かりました。同修たちはその迫害を終わらせることについて、法理上はっきりと認識しており、私たち全体の向上と昇華に確かに促進の作用を果たしました。

 同修たちがすばらしい文章が書けるのは他でもなく、心を鎮めて法を学び、本当に自分自身を確実に修め、衆生のことを何よりも大事に思ったからであり、大法によって、知恵を開いたからです。それは神の念と人心の根本的な違いでしょう。自分が大法に溶け込めば、やったこと、思ったこと、話したことのすべては神の事を行うようで、それに対し、人心と執着を除去せず、自分のやったすべてを天国に帰る条件と胸算用し、大法と駆け引きをすれば、どうやって法を正す過程に追いつくのでしょうか。もし大法と大法弟子への迫害の終止を師父がやってくださると思えば、私たちの師を助け、法を正す役目をどうやって果たせるのでしょうか。

 99年7.20に邪悪が大法と大法弟子を迫害し始めたころから、私はずっと迫害の終了を待ちに待っていました。特に、不法に留置場や洗脳班、労働教養所に拘禁されている間、ほとんど毎日のように、師父が法力で邪悪の生命を全滅し、大法弟子を世間の地獄から救い出すようにと望んだり、西側の民主国家に中共の大法弟子への迫害を止めるようにと望んだり、中共の「第16回代表大会」に選ばれた新しい指導者たちが大法の名誉回復をするようにと望んだりしていました。しかし、このように待ちに待っても、迫害が終るどころか、ずっと続いていて、特に私たちの地域では更にひどくなる現象も現れました。

 その時、迫害を終わらせてほしいと望む基点は、自分の苦しみを減らし、自分の仕事、家庭、利益、名誉などに損失をもたらさないところにあり、完全に自分を開放するためです。それは既に強大な執着になり、旧勢力が迫害をひどくし、大法弟子を試練する口実にもなったのです。その執着心にずっと気付かなかったので、たとえ師父の新しい説法、例えば『2004年シカゴ法会での説法』の中で説かれた旧勢力そのものの現れも認めない、旧制力の按排を徹底的に否定するという内容を読んでも、迫害を終わらせるのは更に多くの衆生をすくい済度するためであるという法理をなかなか悟ることなく、旧勢力が大法と大法弟子に押し付けたこの迫害を必然的に思い、更に、迫害に反対する時の表現を見本と思い、師父が法を正すことのすべてだと勘違いしてしまったのです。勿論このような私(し)のための不純な考えをもって迫害を止めようとすれば、止められるどころか、かえってひどくなる一方に違いありません。

 迫害を終わらせることについての法理がもう分かったから、ただ終わるのを待つだけでいいと思っている同修もいるようですが、それは又もう一つの極端に走ったのです。そういう考えの裏にはやはり、一息休もうという安逸を求める心が潜んでいます。迫害を終わらせるのは別に修煉が終わる、法を正すことが終わるということではありません。私たちは迫害がいつ終わるかに執着してはならず、この限られた時間に大法弟子として行うべきことをよく行わなければなりません。法理上昇華したら、心性も高められるもので、こんな状態の下で更によく世の人々を救い済度することができるはずです。こんな大事な時に気を緩めてはいけません。最後になるほど、大法の私たちへの要求ももっと高いのです。迫害が終わらないと、師父はまだ帰国できません。多くの邪党の虚言に騙されている衆生はまだ救われるのを待っています。不法に捕まって、投獄された同修たちはまだひどく迫害されています。それらのことを思うと、私たちは気を緩められるでしょうか?

 最近、この迫害を終わらせる結果については、色々推測している同修がたくさんいるし、交流する時の決まった話題にもなっています。ここで私見を述べたいのですが、迫害を終わらせるのは、師父の広大な慈悲、法を正す中での法力の如意な表現で、法を正すことが終わりに近づく前の一つの過程なのです。大法弟子は師父が法を正す凄まじい勢いが推し進められる中で、反迫害という個人修煉の状態と次元から更に純正で高い先天の最高の次元へ昇華し、向上し、衆生を救い済度することを通して、無私無我で、他人を先に自分を後にするという新しい宇宙の標準に達するように努めなければなりません。

 いつも人の観念や思惟方法で物事を推測してはいけません。人間の空間に近いよその空間はすべて法によって正されました。人間の空間での迫害の続きは我々の後天で形成された観念、まだ取り除かれていない人心や観念、精進できていない状態と直接関係があるのです。師父はとっくに仏法神通を与えてくださいました。私たちは衆生を救い済度するためにという大法に符合する考えの下で、強大な一念を発すれば、直ちにこの迫害を終わらせることガできるに違いありません。

 以上、個人の会得ですが、不足や不正確なところがありましたら、ご叱正をお願いします。

 2007年9月15日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/9/12/162514.html

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