貴州の中八労働教養所の代啓元さんに対する迫害
(明慧日本)2006年8月に代啓元さんは貴州の中八労働教養所での長期間迫害を受け、家に帰る時、髪の毛が落ち、骨ばかりに痩せて、身体はかなり老けていた。身内の人に信じられないほど変わったと言われ、彼の右手は不具になり、今まだにいつも身震いしている。
代啓元さんが迫害を受けた同じ時期に、彼の妻も中八女子労働教養所で迫害を受けた。彼の身内も迫害を受けていて、彼の2人の子供は(1人は16歳、もう1人は13歳)、そのため路頭に迷って、他人の所で少年工になって自分を扶養していた。ある日彼の1人の未成年の息子はようやく少し金を蓄えて中八女子教養労働所にお母さんを見舞いに行った。警官は面会することを許さず、彼の息子は大きな木の上まで登って、食事する時塀の内に向かってお母さんの名前を叫んだが、結局労働教養所の警官に銃を持って追跡された。
赤水市の法輪功学習者・代啓元さんは、2000年の正月土城鎮で集団煉功に参加したため、3年間不法教養され、貴州の中八労働教養所で残酷な迫害を受けた。
いわゆる「警備隊」の、警官は代啓元さんに眠ることを許さず、彼に赤ん坊ご飯を食べさせた(とてもとても少ない量のご飯)。警官の楊仁寿、潘忠、徐発遠、李季良、劉意鋭(音)、麻薬犯の徐洪江などは、順番に代わって代啓元さんに激しい暴力を振るった。足を持って地面に何度も引っ張り、靴を壊し、服が引っ張られてぼろぼろになり、全身は引っ張られて出血し、彼を意識不明になるまで行った。邪悪が取ったすべての暴力迫害の目的は、修煉者の肉体を打ち壊すと同時に修煉者の意志を粉砕しようと思っており、彼らの信条を放棄させることだ。
同年の9月、警官は代啓元さんに対して2回目の迫害を行った。警官はタオルを濡らして、風通しのよい通路に置いて、代啓元さんを濡らしているタオルの上に立つよう強制して、4日間昼晩寝ることを許さない。貴州は雨が降ると冬のようで、雲貴高原に位置している貴陽、九月はとても冷たい。代啓元さんは寒風の中でがたがた震え、体は極度に虚弱になり、ぼんやりとした情況の下で、「三書」を書いた。
中八労働教養所で迫害を受けた3年間の中で、邪党の労働教養所は代啓元さんに奴隷の仕事を強制した。毎日監区の庭、監室と廊下を清掃させ、身内の面会を許さず、外部とのすべての連絡を断ち切り、労働教養所が出した毎月5元の「給料」だけを使う。
2003年4月、代啓元さんは再び赤水公安局に貴州中八労働教養所へ送られ3年間不法教養された。邪悪な警官は恐れて恨み、彼を五大隊単独控室に送り届けて2日間立つことを要求した。それから「攻堅室」に送って半月迫害し、毎日代啓元さんが眠ることを許さず、三人の麻薬犯が監視した(その中の一人は清鎮の馬鍵)。警官の楊仁寿、李季良などは24時間「四書」を書くように強いる。
代啓元さんは邪悪の要求に協力しないため、単独で控室に投げられ10日間迫害された。また「攻堅室」に送って半月迫害し、安順の麻薬犯・李加竜、葉厚中、遵義の麻薬犯を使って長期間監視した。代啓元さんが話すことを許さず、痰を吐くことさえ許さず、一気に半月間やる。悪党人員がどうのように迫害するかに関わらず、代啓元さんはすべて彼らに協力しない。警官は彼に奴隷の仕事を強制して、彼に一日どうやってもやり切れない数千個の電球の仕事をさせた。悪党の労働教養所はいろいろな方法を取った。眠ることを許さないで、法を学び煉功することを許さず、法輪功学習者との接触することを許さず、いつもレッドカードを掛けて、寝てはいけないと言い、厳しい日差しの下で日光に当て、冷凍させ(冬至の時に風の通路で何日間も立たせる)、長期にわたり夜勤させ、また昼間引き続いて出勤しなければならなくて、様々な迫害は3年間1度も中断されなかった。警官は代啓元さんに家に手紙を書くことを許さないで、面会を許さず、家から郵送して来た金は返し、たとえ返さなくても使うことを許さなかった。
三年間不法教養して満期になった2006年5月、代啓元さんは赤水市公安局に遵義洗脳クラスに連行されて100日間迫害された。2006年8月に家に帰った後、赤水市公安局、赤水市市中派出所、社区民警は長期にわたり彼をかき乱して、 十月にまた赤水市公安局国保大隊の王斌は、10人位の警官を連れて家に飛び込んで、代啓元さんの家族を公安局で事情聴取させ、代啓元さんが路頭に迷うように企んで、今なお行方が分からない。
2007年9月17日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/7/30/159839.html)
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