日本明慧
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本当に心を放下したのか


 文/中国山西省の大法弟子

(明慧日本)師父に付いて法を正す時期の大法弟子の歩まなければならない、困難で偉大な輝かしい最後の道をしっかりと歩むことはとても大事なのです。この大事な時、衆生を救い済度する過程で、我々は八年も続いている邪悪な迫害を終わらせなければなりません。迫害を終わらせることについて、私はこのように理解していますが、私たちは神の状態で無為に師父の要求された三つのことをよく行い、限られた時間を大事にして、できるだけ多くの衆生を救い済度するという神聖な使命を成し遂げなければなりません。

 私は病院に勤めていますが、真相をよく伝えられない時、患者や同僚はよく病院の指導者に、また法輪功のことを伝えたと報告してしまうのです。そうすると、指導者に「病院を法輪功の宣伝場所に変えたのではないか」と言われ、事情説明に呼ばれた時、「それはよいことではないですか、皆はこれによって幸せになれますよ」と笑いながら返事をするのです。時に耳の痛いことを言われても、私は全然気にしませんでした。

 しかし、なんと言おうと、やはり彼らを説得することができないので、「あまりにも頑固だ。党文化にひどく害毒されているし、自分の職を失うことも恐れている。面子も重んじている。もうだめだ」と最初はこう思いました。しかし、後で分かったのですが、効き目がよくなかったのは自分のせいです。つまり真相を伝えるときに色々な人心が潜んでいるのです。自分の意見に賛成するように相手を説得しようとする心、叱られると機嫌が悪くなるという面子を重んじる心、嫉妬心、闘争心、同僚がもし真相が分かれば優しくしてくれるかもしれないという私心などなど、それらの人心があっては、うまく真相を伝えられるのでしょうか。

 すべての人心は修煉の道程での強大な妨害なのです。その法理が分かると、これらの人心や執着を放下し、一つの思いも一つの考えも皆、法で修正し、執着も漏れもない瞬間、あらゆる魔難は影も形もなくなり、周りの環境が目立って変わったのです。同僚は優しくなり、患者も真相を聞きたくなり、脱党を認めたり、自ら大法を学びたい、煉功したいと言ったりするようになりました。また、患者は本当に大法を認めるようになると、回復もとても早くなるのです。

 師父の説法に照らして、自分の昔の不足の原因がもっとはっきり分かるようになりました。「智慧が足りない時は多くの場合、あなたが焦っている時です。何かのことを焦ってやろうとする時、またはそのことを重く見すぎている時、もう一種の執着が現 れ、それによって智慧が足りないという情況が現れました。実は多くのことをする時、落ち着いて穏やかに説明し、理性的に対処していれば、智慧が泉のように 湧いてくると感じられるのです。

 しかも、言っていることは全て的を得ており、真理なのです。執着し、焦っており、何かの強烈な心を持っていれば、智慧がなくなります。この時はまた人間に なったからです。そうではありませんか? できるだけ正念をもって、修煉者の状態で行なえば、効果は非常に良くなります。 

 実は、皆さんが他の事を行なう時も同様で、正念の中で考えに限られるところはなく、考えは非常に広く開かれ、智慧に何の制限もありません。」(「大ニューヨーク地区法会での説法と法の解説」)

 本当の師父の弟子ならば、すべての人心を放下し、執着も漏れも無く師父の要求された三つのことをよく行い、理性的に知恵をもって師を助け、法を正す最後の道をしっかりと歩んで初めて、本当にこの迫害を終わらせることができると思います。

 次元に限られた認識ですが、不適当なところがありましたら、慈悲なるご叱正をお願いします。合掌。

 2007年9月18日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/9/16/162749.html