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自分の根本的な執着から考えたこと


 文/中国大陸の大法弟子

(明慧日本)師父は「圓満成就に向かって」の経文の中で、修煉者の根本的な執着について説かれました。それでは、私の執着とはいったい何なのでしょうか。

 昔、この経文に照らして自分自身を真面目に「一体どういう発想で大法修煉の門に入ったのだろうか」と考えたことがあります。後で気が付いたのですが、確かに人心で入ったのです。その時考えた事は、大法を学んで、健康な体も保てるし、(大学時代に大法を得たのですが、その時勉強に疲れていて、体が弱かった)無料で学べる(ずっと気功に興味を持っていましたが、他の気功は高すぎて、学ぼうとしても学べなかった)と思ったからです。またもう一つ根本的な執着は私の事をやさしくしてくれる人達や組織があれば、自分自身とても得になると思った事です。

 もう一つの執着は二、三年前に気づいたのですが、その執着はいつでもは顕在していませんが、ずっとそれに左右されてきたのです。それは長い間、自分自身を楽にする浄土を探していたということです。(大法弟子は圓満成就する前に皆不純な部分がありますが、それを取り除こうと皆努力しているのです、それは常人社会での波に従い流れに身をまかせることとは全く違います。)

 何日か前に、「明慧週刊」を読んでいる時、ふと気が付いてのですが、生命の根本的な執着は私(し)であり、それは古い宇宙の根本的な執着なのです。古い宇宙に壊滅があるのは私(し)がある為で、新しい宇宙が圓満不滅になるのは無私のためです。大法弟子は古い宇宙から抜け出して、その根本的な執着は皆持っているはずです。自ら大法に同化して、大法の要求するように行い、各層の私(し)を取り除いて初めて、新しい宇宙に入ることができ、正真正銘の圓満成することができるのです。

 ですから、大法の門に入ったときのあらゆる人心、法を学ぶときの妄想、時に大法への反発、同修への観念、自分の行為や思想への放任、法を正し修煉する過程でのあれこれの恐れる心やいろいろな口実、三つのことや行う過程での精進できないといういい訳、旧勢力のあらゆる行為、そのすべての事の裏に皆私(し)があるのです。大法弟子は私(し)を取り除いて始めて、衆生を救い済度することがよく行えると同時に、自分も圓満成就に向かって確実に歩めるのです。それに、自分も如意に三つのことを行い、大法弟子の慈悲を現し、邪を鎮め、乱を滅ぼす威力を発揮することができるのです。

 師父の「圓満成就に向かって」は発表されてからもう七年も経ちましたが、三つのことを随分やっているとは言え、残念ながらこの法理の内涵については今になってはじめて悟ったのです。

 以上は大法に対する個人の見解です、不適切なところがありましたら、慈悲なるご指摘をお願いいたします。

 2007年9月21日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/9/15/162685.html