師父の按排される道を選択する
文/中国大陸大法弟子
(明慧日本)大法弟子同士の交流会の中で、ある大法弟子はこんな話を聞かせてくれました。「7.20以来、私が知っている大法弟子が絶えず捕まってしまうという現象があり、本能的に、自分の身にはこういう事が起こってはならないと思いました」と述べました。それからというもの、その大法弟子は長期にわたってたくさんの法を実証し、危険はあったものの(自分自身にはまだたくさんの不足がある為)しかしながら、迫害されたことは一度もなく、また回りのたくさんの大法弟子や新しい学習者を励ましながら、一緒に法を実証し、衆生をすくい済度することを行っています。
法を正す立場から見ると、すべての古い宇宙の生命は皆二通りの按排と選択に直面しているのです。一つは師父の按排される道で、もう一つは旧勢力の按排する道です。
7.20以降、師父が大法弟子に全面的に衆生を救い済度することを通して圓満成就するという輝かしい道を按排され、私達修煉者に個人の関や魔難を全く設けておられません。それに対し、旧勢力は巨大な関と魔難に満ちた袋小路を私達に押し付けて来たのです。法理上はっきり認識していないため、旧勢力の按排を認め、魔難を経験し、九死に一生を得るような苦しみに耐えながら、魔窟を抜け出してから、その過程を嬉しく思っている同修がいますが、それは師父の按排ではなく、自分が抜け出せたのは師父が繰り返し加持され、守ってくださり、その魔難を引き受けてくださった結果なのです。
修煉するのに二股をかけているなら、何も得られないのです。片手は人を掴んで、もう片方は神を掴むようなことをしてはいけません。それと同じように、大法弟子としては、物事の選択も専一でなければなりません。片方は大法を掴んで、片方は古い法理を掴むようなことをしてはだめなのです。また我々大法弟子は必ずこの問題をはっきりと認識しなければいけないと私は思っております。
2007年9月21日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/9/16/162743.html)
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