日本明慧
■印刷版   

遷西県:個人運転手の陸佐金さんが受けた残酷な拷問

(明慧日本)2007年7月18日の夜、河北省・遷西県・東花院郷・西陸庄村の個人運転手・陸佐金さんは、客の荷物を運ぶ時に、法輪功の真相資料を運んだという理由で、遷西県国保大隊の警察により連行され、殴打された。警官達は、18日夜9時から19日朝8時まで、陸さんに対して残酷な拷問を行った。

 国保大隊の隊長・朱振剛は、汚い言葉を口に出しながら、陸佐金さんの顔を連続10数回以上打った。当時、陸佐金さんは殴打されて両耳に耳鳴りがしていた。警官達は、脚で陸佐金さんの腿や股を蹴った。悪人・王印広は、気が狂ったように陸さんの胸を10数回も力強く殴打したばかりでなく、顔も連続して打った。他の数人の警官も一緒に殴ったり罵ったりしながら、陸さんの人格を侮辱した。警官らは、ごろつき集団のやり方で、何の証拠もない情况下で、連夜、陸さんの家を不法に捜査した。夜明け前、王印広、何連鎖、王偉ら数人の警官は、陸さんに対して再び縄で身体を縛った。警官らは、力強く縄を引っ張って彼の身体を縛り、木の棒で縄の中を数回も回した。このような迫害は、長期間続いた。当時、陸さんの腕が動けなくなったが、悪人・何連鎖、王印広および他の二人の警官は、故意に陸さんの両手を引っ張りながら、悪魔のように笑い、大きな声で、「おまえが気持ち良くなるようにするぞ」と言った。当時、陸さんは痛みと痺れで本当にその苦痛は言葉に表せないほどだった。このような迫害は、一晩ずっと続いたので、陸さんは身体と精神面でも巨大な打撃を受けた。7月19日午前、陸さんは不法に留置場で刑事犯として拘留された。陸さんの胸部の痛みは1カ月以上も続き、37日後の釈放の日にもずっと痛みが残っていた。

 陸さんは、かつて老山で越反撃戦に参加し、三等戦功賞を受けた。地元に帰った後、陸さんは、適当な仕事がなく、自分で車を運転しながら生計を立てなければならなかった。陸さんは、荷物を運ぶ個人運転手として、人に対して優しく、嘘も付かなかった。また、商売も公平に行い、客を傷つけたことはなかった。ただ、客の荷物を運んだことで、無実な人がこのような人間性のない残酷な迫害を受けたのである。

 2007年9月21日


(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/9/21/163082.html