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ハルピン市の法輪功学習者・喬増義さんは拷問を受け、殺害された事実の補足(写真)

(明慧日本)明慧ネット2007年9月19日の報道によると、黒龍江省のハルビン市の法輪功学習者・喬増義さんは、2007年9月12日に、長林子労働教養所の不法に迫害を受け、殺された。喬増義さんを殺害した直接の責任者は、ハルビン市南崗支局の国保大隊、南崗巴山出張所、長林子労働教養所の警察、及び区役所の悪人達である。以下は、喬増義さんがかつて、警察の迫害を受けた数々の事実の補足である。
法輪功学習者・喬増義さん
法輪功学習者・喬増義さん


 喬増義さん(58歳男性)は、黒龍江省・ハルピン市の法輪功学習者で、1997年から法輪功を修煉し始めた。喬増義さんは、法輪功を心より堅く信じ、常に人々に対して法輪功のすばらしさを伝えていた。また、法輪功の迫害の真相を訴え、人々に「三退(中共の関連組織から脱出すること)」を勧めた。法輪功が中共に迫害されてからこの8年間、喬増義さんは何回も警察に強制連行され、監禁所や労働教養所に監禁されて残酷な拷問を受けた。その間、喬増義さんは、2回も不法に判決を受け、長林子労働教養所に不法に監禁され、虐待された。

 1999年12月、喬増義さんは北京に上京して法輪功の真相を訴えた。また、2000年7月、再び上京して法輪功の真相を訴えると、北京の警察に不法に強制連行され、15日間不法に監禁された。監禁中、喬増義さんは虐待、拷問を受け、数本の歯が折られた。ハルピン市に戻った後、喬増義さんは再度4カ月以上不法に監禁された。2001年7月、喬増義さんは再三、不法な判決、懲役1年の冤罪を強要され、ハルピン市長林子労働教養所に監禁された。

 2006年6月22日、ハルピン市南崗巴山出張所の警察・林博と張越は、南岗支局の国保大隊の隊長・王利民、周指導員、武装部の鄒部長、区役所の張主任ら悪人たちと共謀し、喬増義さんの家を包囲した。喬増義さんの家族は、悪人たちの要求に従わず、ドアを開けるという要求を拒否した。すると、悪人らは、強制的にドアのロックを打ち破り、自宅に強制的侵入し、喬増義さんの自宅に飾っていた師父の写真と法輪功の真相資料を押収した。喬増義さんは、根気よく警察の王利民らに真相を話したが、彼らは受け入れるどころか、逆に喬増義さんを騙し、巴山出張所へ連行し、不法に監禁した。その日の夜11時半ごろ、警察は、喬増義さんを強制的に南崗巴公安支局に不法に拘束した。2カ月後、警察らは、喬増義さんに対して不法に懲役1年6カ月間の冤罪を強要した。

 喬増義さんの息子は、国保大隊に行って父親を直ちに釈放するように求めたが、警察らは喬増義さんの息子に、「お前の父は、社会の治安を乱した罪で判決を受けた」と言い返した。喬増義さんの家族は、「ずっと家にいた人がどうやって社会の治安を妨げたのか?」と聞くと、警察らは無言のままで返事をすることもできなかった。

 喬増義さんは、再び長林子労働教養所に不法に監禁されていた。今回は警察らがぐるになって、喬増義さんに対して今までで最も酷い拷問を加えた。悪人たちは受刑者に指示し、喬増義さんを迫害していた。喬増義さんが食堂や庭に出るタイミングを利用して、「法輪大法はすばらしい! 私の師父の潔白を戻して!」と訴えると、警察は、喬増義さんに対して食事・トイレ・睡眠を禁じ、真冬の寒さに外で拷問を強要した。過去1年間、もともと身長180cm、体重90キロであった喬増義さんは、迫害されてから全身のいたるところが傷だらけになり、内臓が病変し、体は痩せ果て、わずか皮と骨しか残っていない状態に陥り、数回も命が危険に晒された。

 2007年6月、喬増義さんの病状が突然悪化し、第2病院へ救急車で搬送され、緊急措置を取って一命を取り留めていた。7月4日に突然、長林子労働教養所から家族に緊急連絡があり、喬増義さんが肺感染症に掛かっているため薬を送るように要求された。連絡を受け、喬増義さんの家族が面会に訪れると、酷い迫害を受けていた喬増義さんは自力で動けなくなり、食事もできず、かろうじて呼吸だけができる状況であった。人に連れられて歩く時もふらふらし、本当に皮と骨しか残っていない状況でした。喬増義さんの家族は非常に驚き、今の状況を心配し、労働教養所に入院して検査を受け、治療を行うように強く要請した。しかし、警察らは、これらの当たり前の正当な要請を全部拒否していた。7月11日、喬増義さんの命はもう長く続かないことを知っていた教養所の悪人らは、喬増義さんをハルピン市医学大学の第1病院に搬送し、検査を行った。喬増義さんが罹っていたのは、両側の肺が重い結核病にかかり、穴が開いていた。そのほかにも肺と胸に水が溜まり、重い糖尿病にも罹っていた。当日の午後、喬増義さんは内科病院へ転送された。しかし、もう手遅れとなった喬増義さんは、2007年9月12日午後1時40分ごろ、この世を去った。喬増義さんは、不法に監禁され、酷い拷問を受け、わずか2カ月で冤罪を負ったまま死亡した。

 2007年9月22日