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あなたを救わなければならない


文/黒龍江省の大法弟子

(明慧日本)師父の『米国首都での説法』と『明慧週刊』に載っている、直ちに迫害を終わらせることについての交流文章を読んで、非常に感慨深かったです。法を正す過程にしっかりと付いていき、衆生を救うという基点に立ち、本当に衆生を救い済度することしか考えないようにして、初めてこの迫害を直ちに終わらせることができるのです。

 何日か前に、農村へ真相資料に配りに行く時、大法の威力が現れました。私たちが出発する前に、1人の同修は「そこはまだ邪悪がはびこっている、その村の1人の同修は村長に告発されて強制連行された」と言いました。それを聞いた私はただ、その言い方は法に符合していないとだけ思い、別にそのよくない要素を解体するという強大な正念を発しませんでした。私達4人は2人ずつバイクに乗って村に入り、並んでバイクを走らせながら、真相資料を配りました。

 私は2部の資料を配ったところで、1人の村民に止められました。彼は片手でバイクをつかんで離さず、もう片手は配られたばかりの資料を指差しながら言いました。「私の庭に何を放り込んだのですか、何でそういうことをするのですか、さっさと拾いなさい。」私は相棒の同修に抜け出させようと思ったので、「それは皆さんを救うための真相資料です。いいです、拾いに行きますから」と返事しながら、その村民を引っ張っていきましたが、その村民は恐ろしい顔をしていて、手を引っくり返し、私の腕をつかみました。そして、相棒の同修はその隙を見て、抜け出しました。それを見て、「何で私だけが捕まえられたのだろう。どこが間違ったのだろうか」という考えが頭に浮かんできました。しかし、私はすぐにその考えは正しくないと分かり、「いや、こういう考えでは旧勢力の按排を認めたことになる。それはいけない。たとえ漏れがあっても、旧勢力が試練する資格はない。邪悪を直ちに解体しよう」と考え直して、正念を発しながら、真相を伝えました。ところが、その村民は聞こうとしないどころか、携帯電話で家にいる何人かを呼び出したのです。そして、その中の1人の女性の村民は「国によって禁止されたのに、ここで資料を配るなんて彼女を害することになる。もし110番をかけて、通報したら、少なくとも15年の刑罰を下されるよ」と言いました。続けて「5万元を出さないと行かせないぞ」とさきほどの村民も脅してきました。

 それを聞いた私は、5年近く留置所や万家労働教養所で受けた迫害を言い聞かせ、また腕に残っている傷跡も見せました。「こんな酷い目に遭わされても、今危険に身を曝されながらもやはり真相資料を配るのは本当に皆さんを救いたいからです」と私は言うと、皆黙ってしまいました。しばらく経って、1人の背の高い男性の村民は「彼女を行かせよう」と言いました。しかし、私をつかんでいる村民は「それはだめだ、お金をくれないと行かせない」と答えました。「そのお金をもらったとしても、安心して使えるのか」とさきほどの村民が反論すると、「お前と関係ないから、もう構わないで」とその村民はどうしても考えを変えようとしませんでした。そうしたら、そこにいる村民は相次いで家に戻りました。私は、私をつかんでいる村民に続けて真相を伝えましたが、彼は依然として耳を貸そうとせず、「私は一家揃って党員だから、お金のことしか考えない。お金をくれないと警察へ送り込むから」と言い張っていました。「そんな大金、どこで工面できると思いますか」と私は聞くと、「さっきの相棒を呼び返せばいいだろ」と彼は答えました。「いや、携帯電話を持っていないから、連絡できない」と返事したら、彼はもう待ちきれないようで、本当にどこかへ携帯電話でかけようとしました。

 それを目にした私もいらいらして、抜け出そうとしました。そして、彼を止めようとして、3回も心の中で止まれという一念を発しました。しかし、それは効き目がなく、私は走り出そうとすると、彼に引っ張られて、転んでしまったのです。「逃げようと思ったら、殴るぞ」と私の行動に怒ってようで、彼は怒鳴りました。その瞬間、急に「私は彼らを救うために来たのだ。私は一番正しいことをしている。なぜかえって彼に制御されたのか、彼にお金をあげようとする考えは実は彼を救うのではなく、害を加えてしまうことになるのだ」という考えが生じ、また、師父の『米国首都での説法』の中の内容、そして、直ちに迫害を終わらせるのは衆生を救い済度するためで、邪悪が試練する資格はないし、迫害してはいけないと同修と交流した時の内容も思い出し、正念がぐっと強くなってきたと感じました。そこで、彼の背後にある黒い手や卑しい鬼を一掃するという正念を発しながら、さっと立ち上がり、彼の襟をぐいとつかんで、「それはいけない、お金をあげてはいけない、それは悪行を働かせることになる。私はあなたを救いたいのです。あなたもよい生命です。あなたを救わなければなりません。もし私があなたの妹であれば、警察へ送り込むつもりですか。もう悪事を働くのをやめて、私を放してください」と厳しく言いました。

 そうしたら、彼は別人に変わったようで、何も言わず私の後について、村の外に向かって歩きました。それから、私はまた真相を伝え続けました。共産邪党が設立されて以来、悪事ばかり働いて、平和な時期でもこれまでの数回の運動で8千万人の中国人を殺害したこと。文化大革命が終わってから、当初一途に「命令を執行した」人も刑罰を下されたり、殺されたりする始末になったこと。だから本当に善にそれなりの報いがあれば、悪もそれなりの報いがあるものだ、などなど。引き続き彼に三退を勧めました。最初彼は断りましたが、「それはだめ、私の方が年上だから、あなたは弟に当たるのだ、姉さんのことを聞かなければならない。『弟』という別名で党員を脱退してあげよう。それに、『法輪大法はすばらしい』、『真善忍はすばらしい』という言葉もしっかり覚えなさい。そうすると、必ず美しい未来があるから」と言ったら、承知してくれました。また私のことに関心を寄せてくれるようになり、おなかが空いただろう、一緒に食事に行こうかと聞いたり、こんなにたくさん資料を持っているからまた捕まったら大変だと言って、携帯電話で車の手配をしてくれたりしました。真相を伝えることによって、その生命は本当に救われたのだと私は分かりました。

 今度のことを振り返って考えると、私は衆生を救い済度するためにという基点に立ったからこそ、衆生を利用し、大法弟子を迫害しようとする邪悪の按排を打ち破り、衆生を救うことができたのだと思っています。しかし、落ち着いて内に向けて探すと、自分の空間場はそれほど純正ではないこと、まだ完全に人の観念から抜け出していないことや「名誉、利益、情」への執着はまだ根本的に取り除かれていないことから、邪悪に隙に乗じられて、このような面倒なことにあったのだと分かりました。特に、真相を伝えることを多少したので、地元の同修に手本と見られ、自分もうぬぼれて、「正念が本当に強いですね』という褒め言葉を聴くと、表では何の反応もないように見えますが、実は心の中でもう嬉しくてたまらなかったのです。実は褒める方も褒められる方も『片足をすでに踏み外した」(『2003年旧正月十五日米国西部法会での説法』)のです。

 だから、自分のこういう人心に気づくと、私は本当に恥ずかしくて、師父の苦心の済度に申し訳なくてたまりません。実は全然迫害されることなく、穏やかで正しく法を実証する道を歩むのが一番良いのです。迫害されたそのこと自体は恥で、師父の望みではなく、たとえ後で正念をもって抜け出したとしても、それは一回また一回のマイナスの教訓を経験し、邪悪な旧勢力の按排の中で歩んでいるに過ぎないと思っています。

 2007年9月22日


(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/9/18/162854.html