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ハルビン市:喬増義さんは酷い拷問を受け、殺害された(写真)

(明慧日本)明慧ネットの2007年9月19日の報道によると、黒龍江省ハルビン市の法輪功学習者・喬増義さんは、2006年6月22日に、悪警察らにより自宅で不法に強制連行され、長林子労働教養所に送られ迫害を受けた。喬さんは、さまざまな拷問を受け、体が傷だらけになっただけではなく、重い病気にかかっていた。家族は彼の健康状態を非常に心配して、病院での治療を何度も要請したが、悪警察らにずっと拒否されていた。結局、非常に残念なことに、2007年7月11日、喬さんが息絶え絶えの状況下で、悪警察らが家族に突然の連絡を入れたが、時期が遅れ、喬さんは、2007年9月12日、病気を治療するタイミングを失ったまま、この世を去った。

法輪功学習者・喬増義さん
法輪功学習者・喬増義さん

 2006年6月22日の午前、巴山出張所の悪警察ら・張越、林博は、南岡公安支局の国保大隊(610弁公室)の悪警察らのボス・王利民、教導員・周**、「奮闘弁事処」の武装部長・スウ、区役所の主任・張**等悪人らは、喬さんの家を包囲し、その日の午後に喬増義さんの自宅のドアを破り(ドアを開ける大工を雇って破らせた)中に入った。午後の4時20分ごろ、喬さんを騙し、巴山出張所へ強制連行し、不法に喬さんを拘束した。当日の夜11時30分ごろ、喬さんは、強制的に南岡公安支局の拘束所へ連行され、不法に監禁された。数日後、喬さんの息子が不法に連行された父の釈放を求めたが、悪人達はあと数日の間喬さんを拘束すると言い返していた。

 2カ月以上過ぎても釈放の見通しはない。家族が釈放を求めると、悪警察らは、喬さんの息子に「お前の父に懲役1年6カ月間の判決を下した」と暴言した。喬さんの息子は、南岡国保大隊(610弁公室)の大隊長に、父親の釈放を要請したが、父親が既に社会治安を妨げた冤罪で労働教養所へ送られたことが分かった。喬さんの息子は、「ずっと自宅にいた父がどうやって社会の安定を妨げたのか?」と聞くと、悪警察らは答える言葉と理屈がなくなり、無言のままだった。南岡国保大隊の610弁公室のボス・王利民、指導員・周**は数回も不法に法輪功学習者を逮捕して監禁するなどを陰謀して、自ら指示していた。喬さんを不法に逮捕して労働教養所へ送るまでのすべては国保大隊の悪警察・劉刊の責任である。

 2007年6月2日、喬さんの病気が酷くなって一晩も眠ることができず苦しんでいた。翌日、喬さんは、市の第二病院に搬送され緊急措置で検査を受けた。その後、6月3日の朝6時ごろ、悪警察らは喬さんの家族に入院費用を支払うように強要した。家族は、喬さんの全身の健康状態がとても心配で、引き続き診断するように要請したが、悪警察らは拒否したばかりでなく、再び長林子労働教養所に強制連行した。

 2007年6月10日、喬さんの家族は、喬さんと面会した時、喬さんの健康状態がさらに悪化しているのを見て、入院して治療することを許すように強く要請したが相変わらず拒否された。

 2007年7月4日、喬さんの家族は、喬さんが肺感染症にかかっていると連絡を受けていた。長林子労働教養所を訪れると、実際に、喬さんは骨と皮しか残っておらずひどい状態だった。

 2007年7月9日、喬さんの家族は長林子労働教養所に喬さんの病気の治療を認めるように強く要求したが、相変わらず家族の要求に応じようとしなかった。

 2007年7月11日、悪警察らは喬さんがもう生きる希望がないことを知っていて、喬さんの家族に入院を認めた。家族がハルビンの医学大学の第一病院に入院したが。もう既に時期が遅れていて、非常に残念なことに両側の肺が重い結核にかかり、穴が開いていた。そのほかにも肺と胸に水が溜まり、重い糖尿病にも罹っていた。体重が元の90キロから50キロまでに痩せて、自力で歩けない状態になるまで拷問を受けたことが分かった。当日の午後、喬さんは他の内科病院へ転送されたが、2007年9月12日の午後1時40分ごろ、この世を去った。

 2007年9月23日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/9/20/163015.html