日本明慧
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「自分のものなら、無くなることはない」


 文/中国大陸の大法弟子

(明慧日本)師父が伝えてくださる大法は奥深いものです。真に修める弟子は確実に修めている中で、奇跡がどんどん現れています。この間、私も真相を伝え、法を実証する中で、奇跡を体験し、大法の一つの法理「自分のものなら、無くなることはない」を実証しました。

 私は教師をしています。休みになるたびに、補習をしたがる生徒がいます。普通は忙しいから、休みの時間を利用して、法を多く学びたいし、金儲けのことを淡泊に見ているので、ここ数年ずっと補習の授業をしませんでした。しかし、今年の夏休み、補習の授業をしてもらいたいという、塾を経営している友達からの頼みも断れず、これは人を救うよいチャンスかもしれないと思い、承知することにしました。それから、この部分の収入に関しては、自分がもらうべき分をもらって、それを資料の作成に使い、余った部分を生徒に返そうと思っていました。

 同修とこの件について交流したら、「人を救いたいなら、もっと正念を強めて、いっそ授業料を全部生徒たちに返したらどうですか。そのほうが真相を伝え、三退を勧めるのにもっとプラスになると思いますから」と同修は助言してくれて、私もそれに賛成しました。しかし、本当にそのようにしようと思ったら、自分の分くらいはやはりもらいたいという考えが浮かびました。それはよくない考えだ、取り除かなければと覚悟はしていますが、実際修めるにあたっては、そうたやすいことではありませんでした。

 翌日、同じ学科を教えている同僚に出会いました。補習のことを聞くと、彼女は私と同じぐらいの条件なのに、なんと私より三倍の報酬ももらっていると分かると、思わず羨ましくて不平な気持ちが涌いてきたのです。しかし、すぐに「人を救うために補習の授業を担当したのではないか。何でまたこんな不平な心があるのだろうか」と自問し、また師父の説法「煉功者としては、どのように失と得に対処すればよいでしょうか? それは常人の場合とは違います。常人が得ようとしているものは個人の利益で、どうすれば暮しが良くなるか、どうすれば楽に暮せるかということです。煉功者はそれと正反対に、常人の得ようとするものは求めようとしません。そのかわり、常人は修煉しないかぎり、われわれの得るものを得ようとしても得られません。」(『転法輪』)を思い出しました。そして、人を救うというのは私の正念で、先史の誓約を成し遂げるのは私がこの世に降りるときの願望だと自分に言い聞かせ、固い意志でその執着を取り除こうとしました。

 そのように心を決めたら、またこの私立学校の生徒は違うところから来ているし、まだ大勢の前で三退を勧める経験はないと言う問題に直面しました。同修達もいろいろ助言してくれたおかげで、どのようにすればいいかと分かるようになりました。そこで、生徒たちは付き合っている二十数日の間、私は常に大法の要求で自分を律し、授業中に無神論の殻を打ち破るように絶えず神伝文化を教え、これらの生徒と仲良く付き合っていました。

 いよいよ補習の最後の日になりました。たくさんの同修はこの場をきれいにするように正念を発し、私はすべての費用を生徒たちに返しました。そうしたら、なぜなのかと生徒たちは不思議そうに聞きました。そして、私のこれらの行動に対して、李洪志先生と大法を感謝しなければならないと答え、引き続き、大法の真相と不思議さ、邪党の大法への迫害、天安門焼身自殺事件、臓器摘出事件、蔵字石の示した天機及び脱党して身を守ることの真理などを一時間あまり話しました。真相が分かった彼らは、次々と三退を申し出るようになり、私は彼らが救われたことを嬉しく思うと同時に、このチャンスを与えてくださった師父に深く感謝しました。その後、たまに、「こんなに暑いのに、二十数日もただで働くなんてもったいない」と言う考えが浮かびましたが、すぐに正念をもって「師父の教えられたとおりにするのは間違いない。自分の本当の目的はお金ではなく、人を救うことだ。それに実際にそのようにやったから、常人が得ようとしても得られないものを手にしたのだ」というように考え直したのです。ことここに至って、この件はもう円満に終わったと思いました。

 しかし、思いがけないことに、一ヵ月後、それらの生徒は授業料をまた私の友達に返し、それから、友達はまた私に渡したのです。そのお金をもらった瞬間、私の身にも奇跡が起こったと実感しました。それは求める心を放下してから得たのです。これで私は師父の説かれた法理「自分のものなら、無くなることはない」を実証しました。

 このお金の裏には、本当に真相の分かった子供たちの純粋な心が含まれているのです。そのお金を真相資料の作成に使って、更に多くの人が救えれば、彼らの大法への恩返しにもなるのではないかと私は思っています。今、時にこれらの生徒に出会うと、いつも遠くから親切に挨拶してくれます。それは彼らのやろうとしていることを手伝ってあげたからではないかと思います。

 2007年9月23日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/9/21/163065.html