日本明慧
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病業を否定することについての会得


 文/中国大陸大法弟子

(明慧日本)2002年の初めころ、労働教養所から帰ってきて一ヵ月くらい経ったところですが、身体がむずむずして堪らなく痒く、とても気分が悪かったのです。

 最初は小さな湿疹をちょっと掻く程度でしたが、段々とできものがいっぱい出てきて、後にはますます酷くなり、それらのできものは皆、最後には膿胞になってしまいました。体も手も至るところがこのうえなく痒く、用便が問題になりました。手で膿胞を搔き毟ると、そこに水が沁みついて、ご飯を食べる際には箸も手に付かない有様で、夜になると痒くて熟睡できませんでした。そのようなときは、私は非常に苦しく、精神的な拷問に加えて、身体的な苦しみもあって、その苦しさは筆舌に尽くしがたいものでした。

 街頭では、地元警察の派出所が、しょっちゅう自宅に押しかけては尋問し、あるときなどは私を逮捕しようとしました。

 私には恐れる心がまだ強かったため、大体の時間はベッドに横たわり、外出は滅多にせず、法の学習も煉功の時間も少なく、正念を発するときには妨害が入り、真相を伝えることもままならず、この三つのことはどのようにやったらいいのか分りませんでした。

 このような魔難は一年余り続き、私はなかなか精進できませんでした。

 妹も大法弟子ですが、それらを否定すべきだと注意してくれました。

 なるほどと私も思い、私もそれを否定すべきだと法理の上では明白に知っていましたが、しかしどうやって否定したらいいのか?それを認めないためには・・・しかし、痒くてたまらないときや苦しくてたまらない時には、やはり知らずうちにそれらを認めてしまうことになり、私は途方に暮れました。

 その間、もし治ったら、私も真相を伝えに出かけるとも思いました。

 しかし、なかなか直りませんでした。

 法を学んだ時に、師父の説法「転法輪」で、このような一節を目にしたことがあります。「病気が治ったら修煉しようと思う人がいるようですが、修煉にはいかなる条件も付けてはいけません。修煉しようと思い立ったら、修煉を始めるべきです」。

 私がそれによって悟ったことは、真相を伝えることもいかなる条件を付けてはいけないということ、体の病業の表現は真相を伝えることの障害になってはいけないという事です。真相を伝え衆生を救度することは、わたしたち法を正す時期の大法弟子の使命です。

 私は引き続き、師父が各地で説かれた説法も学びました。

 説法の中で、師父が全般的に旧勢力そのものを含め、その按配を否定していることが分りました。

 同時に、師父の説法の中で、大法弟子は常人の仕事を持つべきで、しかも首尾よくこなさなくてはならないことを知りました。

 それで、私はどうすればいいか分かるようになりました。

 実はその前妹にも注意されましたが、私には気が進まず、その一歩が踏み出すことができませんでした。現在、私ははっきりとどのようにすべきかを知りました。仕事をしようと思ったのです。これは、旧勢力を否定する最もいい方法です。

 同修から靴下の小売という仕事を助言してもらいました。

 ちょうど季節の変わり目だし、誰でも使えるし、持ってくるのも簡単、元金も少なくて済み100元足らず、特に、正念を発することに影響を与えない上に、真相も伝えられるのです。

 私もこの案に賛成しました。

 善は急げですから、翌日問屋で靴下を買ってきてから、露天を出そうとしたところ、また難に出会いました。

 翌日の早朝、朝食の支度をしているところ、思いがけず煮えたぎったお湯を手にひっくり返し、火傷を負ったのでした。元々おできだらけの手に、そのような熱湯をかけてしまい、膿胞に水疱までできてさんざんな目に遭いました。私の手は、おできと水ぶくれで一杯になりました。

 私は直ぐにそれが旧勢力の妨害で、私の精進を妨害するものだと合点がいきました。

 旧勢力が私に対してやることは、全てが徒労になりました。この時には、私の正念を揺すぶることができなく、妨害すればするほど、私はやりに行く意志を強めるのです。

 そこで、網目の付いている手袋をはめました。おできやまめが破れて手袋を湿しても、ぜんぜん気にしませんでした。

 同修の手伝いの下で、靴下を買ってきて、そして、家に戻ってちょっと下準備してから、午後の4時に近くの市場で露天を出しました。

 新しい露天だし、季節の移り目なのですから、よくお客さんが見に来ていました。

 すると、それをきっかけに、真相を伝え、午後5時40分頃に露天をしまって、うちに帰りました。

 帰ってみると、もう手袋が手にくっつき、水疱が破れ、手がひどく傷みましたが、師父の説いた旧勢力を否定するという一句を思い出し、どのように痛くても構わず、普段と変わらずに手を洗い、その後に正念を発しまたが、なんの影響もありませんでした。

 翌日の朝も、6時の正念を発し終わってから、また露天を出しに行き、2時間後に戻り、午後に露天を出しても、6時前には定刻通りに帰宅するようにしました。

 お客さんが来たら、売りながら真相を伝え、お客さんがいなければ、隣の露天へ真相を伝えに行くのです。

 もう全然手のことを気にせず、精進して、やるべきことをやりに行ったら、かえって手は日増しによくなり、法を学ぶことと煉功もまた更に精進できるようになりました。

 このように一週間くらい露天を出した後、手はもう全快しました。

 一年余りも続いた病業は一週間で解決したのです。

 また、この一週間とても充実して過ごしたとつくづく感じました。

 今分かったのですが、もし労働教養所から帰ってきた時から精進すればこんなことがあり得ないし、もし病業の状態が現れてから法に基づいて認識すれば、魔難はこんなに長く延びないし、もし無条件に自分を修め、真相を伝え、本当の修煉者らしい行動を取ってさえいたら、こんなに長い時間も魔難に遭うこともありませんでした。

 ささやかな文章ですが、病業の魔難の中にある同修と共に励まし合えればと思っております。

 2007年9月25日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/9/23/163169.html