正念を発することの威力
文/中国黒龍江省の大法弟子
(明慧日本)大法弟子として三つの事を行うときに、私はいつも師父の説法「大法弟子の正念は威力あるものである」を忘れません。いかなることをするときも、私は必ず、まず正念を発してから行うのです。やるときも始終正念を保っています。
あるとき、村へ真相資料を配りに行くことにしましたが、手元には真相資料の張り紙二枚とパンフレット三冊しかありませんでした。およそ90世帯、数百人もいる村なのに、どうすればいいだろうと焦ってしまいました。
資料を配る前に、私は夫とこのような正念を発しました。「師父よ、私はこの村の人を救いたいのです。資料が少ないにもかかわらず、衆生を救い済度する作用を果たさなければなりません。真相が分からず資料をはがす人がいれば、パンフレットの内容が分かってから、直ちにその内容を知らない人に伝えるよう、師父に加持をお願いしました」。
翌日、夫はその村の売店へ行きました。そこは村民が集まって楽しむところで、二十数人の村民が将棋をさしたり、トランプをしたりしていました。そこへ、二人の村民が入ってきました。その中の一人が私たちの配ったパンフレットを手にしながら「これを拾ったのですが、読んであげましょうか」と言いました。そして、彼が読み終わってからそばにいる村民に「私が見た内容も話してあげましょう」と言いました。すると、そばにいる村民はまた彼の見た真相資料の内容を話したのです。
その時、本当に師父に感謝する気持ちでいっぱいでした。このように、真相資料二枚とパンフレット三冊で、大法の真相が村中に伝わったのです。
夏になると、農村では蚊が多く犬も多いのです。そこで、私と夫がバイクで真相を配りに行く前に、「師父、私たちは人を救いに出かけますので、犬もほえない、蚊も刺さない、人も出てこないようにお願いします」と正念を発するのです。
正念を発する時に考えた通り、犬も吠えないし人も出てこなくて、とても静かでした。蚊や虫がぱちぱちと頬っぺたやバイクに当たっていましたが、目に入ったことはなかったのです。
私たちは正念が足りれば、法を実証することに関してできないことはありません。私は大法弟子としてやるべき三つのことを更によく行い、これを以って、師恩に報い、先史の願望を成し遂げたいと思っています。
2007年9月26日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/9/24/163231.html)
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