出来るだけ早く迫害を終わらせることに対する認識 文/中国大陸大法弟子
(明慧日本)「明慧週刊」295号に載っている文章「大量の現世現報は迫害を終わらせることの重要なルートである」を読んで、大賛成でした。8年も続いたこの迫害はあまりにも長いのです。最近の「明慧週刊」にはこの方面の文章がわりと多いですが、それを読んで、感慨深いです。というのは、三つの事をよく行うことに関しては、同修との格差が大きくて、とても師父の済度に申し訳ないと思うし、直ちに迫害を終わらせることについての認識もだいぶ遅れたからです。しかし、長引けば長引くほど、世の人々の道徳はどんどん堕落していって、ますます救い難いと確実に感じています。
大法弟子が頼る心を持ってはいけないという同修がいますが、私はこういう心を持っていたのです。師父は常人に望んではいけないとおっしゃいましたから、私も口先でそのように言っていましたが、心の中では大法弟子のために呼びかける弁護士や知名度の高い政治家や学者がもっと出てほしいと思っていて、大法弟子こそ迫害を終わらせ、衆生を救い済度する主役で、大法弟子はみな超能力と神通をもっていることを忘れてしまったのです。
師父の『転法輪』の「開眼」の所で「人類は今日のような段階まで来てしまって、すべてのものが退廃しており、社会全体、宇宙全体のすべての事が引きも切らずに退廃しています。常人の中のすべてはみな自分自身がもたらしたことです」とおっしゃいました。迫害が終わらないのは勿論大法弟子の心によって促成したのです。私たちの正念はどこから来たのでしょうか。それは心を修めて出来上がったもので、心性の高さが功の高さなのです。もし私たちが法に溶け込み、修めて出来上がった一面でまだ修めて出来上がっていない一面の人の観念を抑えれば、強大な正念を発してすべての邪悪を解体することが出来るのです。私たちはよく修めて神に成就しようとしているのではありませんか?
私たちは大法弟子として、この歴史上のとても大事な時期に当たって、人の方法を使ってもいけないし、常人に望んでもいけません。私たちは神の道を歩んでいる修煉者です。師父は舵を取って導いておられるし、私たちも修めて出来た超能力や神通も持っているのです。後のことは師と法を確信する度合い次第です。「もし困難の前で、念が非常に正しければ、邪悪の迫害や妨害を前にするとき、あなたが言った、正念の強い一言は邪悪を直ちに解体することができ、(拍手) 邪悪に利用された人がすぐに逃げてしまい、邪悪のあなたに対する迫害はすぐ消え、邪悪のあなたに対する妨害を即刻になくすことができます」(『米国西部国際法会での説法』)。この一念はどんなに重要で、果たした作用はどんなに大きいでしょう。肝心なのは大法弟子がどのように対処するかということです。
同修と交流するときに、みんな法の学習は不十分で、法を正す要求との格差が大きいと感じました。正念を発するときに妄想ばっかりで、入静できないとか、眠ってしまう同修もいれば、正念を発するときに何の感じもないから、効き目があるのかと不審に思っている同修もいます。実はみんなも緊迫性をよく感じ、もっと力を入れようと思っていますが、どこから着手すればいいのかが分からなかっただけなのです。
『道法』という経文で1997年に師父はすでにはっきり教えてくださいましたが、ただ私たちはその内包をよく理解できなかっただけなのです。それはわれわれのまだよく修めて出来上がっていない一面の考えが作用を果たしていて、人為的に本性の一面を抑制したからです。そこで、私たちは分かったのですが、同修のすばらしい所を学んで、自分の足りないところが探すのは間違いありませんが、但し、自分を見下げて、気を抜いてはならず、自分の進歩も理性的に見なければならないのです。
そして、皆さんも自分の身に起こった不思議なことも交流しました。ある同修はこんなことを話してくれました。自宅の前にいつも4、5人が集まって世間話をしていましたが、ある日、真相を配りに行くと同修と約束したので、彼らがそこにいてはとても厄介だと思って、離れるようにと正念は発したら、暫く経ってみんな離れたのです。それから、もう1人の同修もこんなことを話しました。4歳の孫は熱が出て、39度になりましたが、彼女はその背後の邪悪を一掃するという正念を発するだけでなく、法輪大法がすばらしい、『真善忍』がすばらしいという言葉を、孫に唱えさせたのです。そうしたら薬も飲まず、点滴も受けずに、2日後には治ったのです。同じ症状のほかの子供は入院して1週間点滴を受けましたが、まだ治らないそうです。これらのことは正に正念の作用ではありませんか。
この交流を通して、みんな分かったのですが、法の学習を確実に修める事と結びつけなければなりません。他の同修と比べて、自分の足らないところを認識しなければなりませんが、ただこれによって自分を見下げてはいけません。自分のことを卑屈に思うことは、厳しく言えば、師と法を確信していないから出た考えだと思います。師父は「本当のところ、これは人間の一面に法に対する認識が足りないために起こったことで、人為的に皆さんの神としての一面を抑え、すなわち皆さんが修煉してできあがった部分を抑制し、彼らが法を正すことを阻んでいるのである。修煉してまだできあがっていない一面がどうして主思想を抑え、すでに法を得た一面を抑制することができようか?」(『精進要旨』・「道法」)と説かれました。私たちは主意識を修めているのです。だから、主意識に作用を果たさせなければなりません。
私たちは師父が教えてくださったように、何事かある時正念を発することを忘れてはいけません。それは大法弟子の宝物の一つで、それを使えば、必ず作用を果たすに違いありません。師父はずっと私たちを見守ってくださっておられますが、実はそのすべてはみんな師父がやってくださるのです。師父はただ私たちの正念と師と法を確信する心を要求されておられるだけなのです。
次元に限られた認識ですが、不当なところがありましたら、慈悲なるご叱正をお願いします。
2007年9月27日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/9/25/163261.html)
明慧ネット:jp.minghui.org
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