誰が吉林楡樹市の于春海さんを殺したのか(写真)
(明慧日本)旧暦の2007年正月21日、まだ32歳の于春海さんは永遠にこの世を去った。一体誰が于春海さんを殺したのかについて、吉林省楡樹市土橋鎮長徳村では諸説入り乱れているが、彼を殺した本当の元凶は法律の網から逃れて、悠然としている。
| 于春海さんが迫害されて臨終になる前の写真 |
| | 于春海さんが不法に連行・迫害される前の写真 |
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于春海さんは1998年の初めに法輪大法を修煉し始めた。「真、善、忍」の基準で自分を律し、人に対しては誠実で、善良だった。広大な心を持ち、人と言い争うこともなく、長徳村では誰にでも人情を重んじる、おとなしい人として知られていた。毎日陽が昇ると共に仕事に行き、陽が沈んだ後に家に帰って、他の人の昼寝と夜間の空き時間を利用して法を学び煉功するような、平凡ながらも落ち着いた田舎生活を過ごしていた。当時の于さんは、どんな仕事でもこなせて、常に使いきれないほどの力があるような、主要な労働力だった。普段、兄と一緒に仕事をして、偶には2人でレスリングの耐力を競うほどだった。法輪功を修煉して2年余りの于さんは若く、活気があり、壮健そのものだった。
しかしこの状況は長く続かなった。99年7月、江沢民は権力を利用して中国人の大法修煉の権利を剥奪した。一億人の純粋な信仰が弾圧されることになり、数十万人が不法に強制労働させられ、刑罰を下され、3千人以上が迫害で死に至った。
楡樹市の法輪功学習者・于春海さんも迫害された中の一人だった。
2000年7月、于春海さんは舒蘭市水曲柳鎮の周家屯に行って法輪功の真相ビラを配ったと思われる(実際彼は配っていなかった)後に、舒蘭市の留置場まで連行され、不法に7日間拘禁されて迫害された。家族は人に頼んで金を出した後にやっと釈放された。 2000年11月、于さんは再度不法に連行された。彼を迫害する目的を達成するため、警察は再び于さんが7月に誣告されたビラの件を取り上げて、同じ事由をダブルカウントして2年の労働教養を下した。
その後、于さんは長春市葦子溝労働教養所で拘禁されていたが、期間中にずっと受刑者による暴力に遭っていた。2001年の初めに長春市朝陽溝労働教養所に移転されたが、拷問などによる迫害については変わりなかった。食事があっても満腹することがなく、長期にわたって時間超過での重労働、残虐な暴力、睡眠の剥奪の上、洗脳、恐喝も余儀なくされていた。労働教養所では定期的に強制洗脳が行われていた。その時期になると、労働教養所は信仰を放棄し、罪があることを認めるように、受刑者に法輪功学習者に対して残虐な拷問を加えさせていた。
ある日、于さんは麻薬常用者・許輝に長さ1メートル余り、幅20センチの板で20数回にわたって全力で叩かれた。お尻がすべて花が咲くように切られ、肉はスライス状に引き裂かれ、たくさんの肉こぶができた。周りに警官は居たものの、注意すらしなかった。そのときの傷は約1年後にやっと治った。
後に于さんは迫害で歩けなくなり、生活の自立もできなくなった。どんどん痩せてきて、邪悪な環境では彼は二度と笑顔を見せなかった。咳きと衰弱した汗が出て、夜はかなり辛かった。その後階段を上る力さえなくなって、甚だしきに至っては一段の階段を登るのに息を弾ませて、腰を曲げただけでも咳が止まらないほどだった。肺結核と診断され、痩せて骨と皮ばかりになって、命の危険が迫っていた。
家族が心配して、金に頼って彼を救い出すしかなかった。 2001年5月の初めに彼はついにほんの少しの息をしながらも家に帰った。病状が深刻なために、家で治療を受けて、1年間に5000元余りの医療費を費やして、病状は好転した。2000年から2002年の間は彼が信仰を放棄し、法輪功の修煉をやめるように強制された2年間であったが、以前の元気さからすっかり変わって、彼は白髪混じりの、元気のない人に変わった。
この2年の経済損害を緩和するため、于さんの病気がある程度好転した後に、大連に行ってアルバイトをすることになった。建設現場の仕事で彼はとても疲れていて、まだ余り時間が経たないうちに、彼の病気が再発した。また新たに喉の結核にもかかり、発声すら難しくなった。病気を治すため至るところへ行って医者を探し、多くの金を使ったが、治療の効果は良い時も悪い時もあり、何度も再発した。この期間中に彼は前のように元気な体になって、家族の負担を少しでも減軽しようと、こっそりと法輪功を修煉しようと思ったことがあったが、人に告発され、再度連行されることを恐れて、断念せざるを得なかった。恐れながらも何回か煉功したが、心が静かになれず、効果も得られなかった。
中共悪党による2年の残虐な迫害を受けた後、3、4年間病気の苦難を経験して、1万元以上の医療費を費やした後、于さんは2007年正月21日永遠にこの世を去った。妻と幼い子供が残され、両親も白髪人が黒髪人を送るような、更なる苦難に満ちた晩年を過ごすことになった。
2007年9月30日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/9/18/162896.html)
明慧ネット:jp.minghui.org
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