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同修の関係を超える「情」に注意すること


 文/中国大陸大法弟子

(明慧日本)最近あまりよくない状態から抜け出したばかりです。だから、その経歴を書き出して、同じ問題を抱えている同修にも注意していただきたいと思います。

 私が一番苦しいときに、ある異性の同修がいろいろと法理の上で私を助けてくれました。その同修との交流を通して、自分の弱点とずっと抱えていた問題を見つけ、修練の状態も随分よくなりました。私たちはお互いに相手から自分に欠けている部分を見つけ、それにより、お互いに好感を持つようになりました。

 最初にこの感じに気づいたとき、一緒にいるのを避けて、これからはなるべく何かを協力して行うのをやめた方がいいのではないかと考えました。しかし、私はとても理性的で慎重であり、自己をコントロールする能力に自身がありました。また、この段階で私たちが出会ったのは、ちょうど私たちのような特徴のある人がお互いに補い合いながら、全体に圓容する必要があるので、いろいろお互いに比較しながら、大法を持って最大と為すべきであり、これくらいのまだ取り除かれていない執着で大局に影響してはいけないと思いました。また、お互い協力しながらも、全体の過程に作用させないよう努めていました。

 しかし、一緒に協力する回数が多くなるにつれて、そのぼんやりとした彼に対する親しみの感情が、ますますはっきり表れてきて、それは複雑な感情に変わりました。その中には感激もあり、感心もあり、お互いの協力に対する依頼感、その人を手本にする心、それに、相手に認めてほしいと言う自分を証明する心が混じっていました。とうとうある時、法を実証することを妨害し、全体のプロジェクトを遅らせることになってしまい、私ははっと目覚めました。そして、「師父が法を正すことを妨害するものは一切要らない、以前の正しくない修煉状態を徹底的に変えよう」と心の底から強い一念を発しました。

 数日後、明慧ネットの文章からこんな内容を読みました。夫婦とも大法弟子なのですが、妻が出張に行ったとき、夫は妻に裏切られたと言う夢を見ました。実はその時、妻は出張先で、ただある男性に好感とか同情とかいう心を動かしたのです。しかし、それは神の目から見れば、とても厳しい問題なのです。この文章を読んではじめて意識したのですが、異性の間で好感を持つというのは、既に道徳に背くことで、大法修煉の中では絶対許されないことなのです。

 この問題に気が付いた以上、それを取り除けばいいのです。特に、師父の要求に圓容すると言う最も重要なことに直面して、いかなる執着の除去も難しいことはありません。ただ、以前はそれを重視しておらず、客観的に放任していたに過ぎません。

 私はこの経験を通して、深刻な教訓を汲み取りました。同性か異性かに関わらず、同修と付き合うときに、人情や個人の好き嫌いを交えてはいけないし、同修の関係を超える感情も持ってはいけません。さもなければ、異性だったら、不正な男女の情、同性だったら、常人のような内輪の何人かだけで仲良くするということになりがちです。また同修間の付き合いは「君子の交わりは淡々と水の如し」という程度を保てば、純粋な修煉環境を保つことになると思います。

 以上、個人の会得です。

 2007年10月3日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/9/30/163591.html