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成都の李瓊英さんが中国共産党によって迫害された悲惨な事実

(明慧日本)李瓊英さんは四川省成都新津県花橋鎮の19大隊の2隊に住んでいる。李さんは独身で、13歳の子供と一緒に暮らしている。

 1999年正月、彼女は幸いに法輪大法と出会った。彼女は常に「真、善、忍」の基準によって自分を律し、修煉することによって、短い時間内に以前の姉妹、隣近所の関係が良くなり、体調もよくなって、肩周炎、太ももの麻痺症なども自然に治った。

 1999年7月から江沢民集団は法輪功に血生臭い弾圧を始めた。李瓊英さんは全国の法輪功修煉者と同じように迫害されている。

 2003年3月のある日、李さんは新津県花橋鎮街頭で商売をしている最中、鎮政府の張吉祥、高翔、そして派出所の警官・王建軍などの人に政府事務室まで不法に連行された。彼らは、李さんに法輪功の修煉を放棄させることを強要したが、彼女はこれを拒否したため12時間も(午前10時から夜10時まで)不法に拘禁した。

 2003年4月中旬、花橋派出所の所長と鎮政府の羅明昆、大隊書記の楊卓彬、隊長の羅留芸は強制的に李さんを新津宝山山荘の洗脳クラスまで不法に連行し、迫害していた。家に13歳の子供がひとり残され、苦しん生活を強いられた。

 2003年5月、李さんは法輪大法を弁護するために、北京に陳情に行った。新津派出所の元所長の彭術全、鎮政府の羅明昆などによって、北京から新津に連れ戻され、不法に15日間拘禁された。その後、李さんはまた留置場に移送され、不法に15日間拘禁された。花橋鎮の綜治弁公室の高翔は、李さんを留置場から花橋鎮政府まで連れ戻し、李さんが持っていたわずか14元まで奪われた。ちょうど同じ時間、花橋鎮政府の羅明昆と郷派出所の十数人は、李さんの家に人がいない情況下で、ドアを壊して押し入って不法に李さんの家宅捜査をした。李さん宅の米、菜種、菜種油、服、掛け布団、扇風機、ラジカセなどを奪い去った。碗、戸棚、ガラスの窓、2つの鉄製のなべ、ベッドなどはすべてたたき壊された。李さんが派出所の者と一緒に家に着いた時、家はぐちゃぐちゃの状態だった。鎮政府の羅明昆は再三、李さんに預金通帳を出すよう強要した。李さんは預金通帳がなかった。彼らは家の隅々まで探しても探し出せなかったため、羅明昆は怒って、ミネラル・ウォーターの瓶で使って彼女の顔を打った。そして憎々しげにあなた達のような法輪功修煉者に対して、経済を破綻させ、政治上臭くさせてやる!当日午後、彼女はまた派出所に連行され、10日間監禁された。この時、政府の張吉祥、高翔はまた李さんにお金を要求した。お金が出せないため、彼らは李さんの顔を殴った。

 李さんが拘禁されていた間、李さんの13歳の子供は頼る人がいなかった。政府関係者はよく学校まで行って、李さんの子供を脅した。李さんの子供はびっくりして不登校になったため、先生と同級生はあちこち彼を探していた。

 彼女は派出所から家に帰って間もなく、また派出所に15日拘禁された。2000年12月、彼女は再度北京に陳情に行った。師走末に家に帰って、三輪車を運転して金を稼いで生計を立てていた。師走24日、彼女は街頭で三輪車を運転したとき、政府の張吉祥、派出所の指導員ら3人に強制的に派出所へ連行され、20日拘禁された。その後、また留置所に転送され、不法に7ヶ月拘禁された。李さんは長期にわたり監禁されたため、2001年の李さんの家の1ムーの菜種、小麦が収穫できず、農地の中で腐ってしまった。凶悪な警察は李さんの家に行って、いつも私生活を妨害していた。

 2007年10月4日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2007/9/25/163332.html