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法を正す修煉の中で嫉妬心を取り除く心の問題について


 文/海外の大法弟子

(明慧日本)一、二年来、私は法を実証するプロジェクトに参加するとき、他の同修や輔導員と揉め事が絶えず、時には、同修や輔導員と激しく争ったりしました。それはよくないと意識してはいたものの、どんな執着心により引き起こされたのかずっと分からず、衝突もいつも絶えませんでした。師父が二回に分けて私に分からせるようにヒントを与えてくださって、初めて、それは強い嫉妬心のせいだと理解出来るようになりました。

 最初のとき、私はプロジェクトの協調人や輔導員と意見が対立して、摩擦が起きた時は、私に次のような心があったからです。つまり、私がいつも自分のやり方で物事を処理すれば一番簡単で早いのに、どうして私の提案を採用しないのか、また時間をかけて論議するなんてもってのほかと思ったり、協調人や輔導員は能力が足りないから、いつも時間と精力を無駄に使ってしまうと思っていたのです。最後になると、自分の意見も伝えたし、力も尽くしたので、やはり聞いてくれないならば、もうどうでもいいと思い、これからは、私が手伝えることなら、してあげてもいいが、手伝えない事なら、彼らが勝手に何とかすればいいと思って、同修のやった事を皮肉ったりしていたのです。

 この状態をずっと乗り越えられませんでしたが、ある日、『転法輪』の第七講の「嫉妬心」を学ぶ時に、「申公豹」にならないようにと師父によって悟らせていただいて、初めてやっとその問題に気づき、私自身恥ずかしくてなりませんでした。長年修煉してきたのに、ずっと「申公豹」とおなじように、一部の同修が「年も取っているし能力もない」(言語表現力が悪い、行動が遅い、年を取っている、学歴が低い、くどい、短気など)と思い込み、また能力のある同修(他の同修でもいいし、自分でもいい)が「神を封ずる」ことをやらせてもらっていないので、「この上なく嫉妬して、いつも姜子牙の邪魔をしたのでした」。師父からヒントをいただいてから、このことについて以前よりも注意をするようになりました。

 それ以降、一緒に法を実証するときに同修に対してあれこれとあら探しをするとか意見の対立や他人との揉め事が少なくなりました。しかし、同修に注意されたり、あら捜しをされたりした時には、やはりいい気分にはなりませんでした。特に、私と同じように普通の学習者(協調責任者や輔導員でない人)や、プロジェクトに参加していない、或いは参加しようとしない同修に注意されるとき、「心の均衡」が保てなくなりました。「あなたもやれるじゃないの? そんなに難しくないのなら、自分でやってみたら? 自分はやらないくせに、また人のあら捜しをするなんて」と思っていたのです。今度は師父が私達に分からせるように更に多くヒントを与えてくださったのに、やはり私自身の心にある「平均主義」「嫉妬心」が災いしていました。

 すると、師父は更に一歩進んで私に嫉妬心を分からせる為にヒントを与えてくださいました。なぜ私は他の同修と一緒に積極的に協力できないのだろうか、それはそのことが私の思うとおりにならなかったので、「自分にふさわしいことをやらせて貰うべきだといつも思っています」(『転法輪』第七講)と私は思ったからです。

 また同修と一緒に法を実証するプロジェクトをするときにも、常人のように自分の考えに執着して、他人が自分の意見に賛成してくれない時、自分の意見に固執てはいけないことも師父の御教示で分かりました。実はすべては師父の法身が見守ってくださっておられますから、師と法を確信すべきで、法を実証するためには、自分の執着や利益を求める心を取り除かなければいけません。

 それから「利益」に対する理解も深まりました。「利益」というのはただ物質的なものに拘らず、修煉者にとって、「名誉」も「情」も「利益」に含まれているのではないかと思います。例えば、自分の気に入らないこと、自分の思うとおりにならないことなどはみなそうです。個人の理解ですが、もし「私(し)と我のために」という出発点なら、それは異なる次元での「利益」であり、取り除かなければならないのです。

 また師父のお諭しで分かったのですが、口を修めないことや同修間のわだかまりも実は嫉妬心の表現です。ですから、自分自身の心から起こる不服や嫉妬心により、邪悪や旧勢力、共産邪霊の隙に付け入られないように気をつけなければなりません。また、謙虚な気持ちが必要で、別に自分は古い学習者だからといって、新しい学習者の意見に耳を貸そうとしないのもいけません。

 それから、集団で交流する時に、自分の好き嫌いに関わらず、他の同修の会得と悟りなどの話を、まじめに根気よく聞かなければなりません。

 修煉するときに、負けず嫌いという心を持ってはいけないことも分かるようになりました。

 自分は嫉妬心を持っていないとずっと思い込んでいましたが、実はそうではありませんでした。今になって、最近、心性が向上しない原因が多少分かってきました。「今日、わたしは煉功者に向かって話していますが、頑迷に固執して悟らないようではいけません。あなたが達成しようと思う目的はより高い次元へ修煉することですので、嫉妬心は必ず無くさなければなりません。だからこそわれわれはこの問題を単独に取り上げたわけです」。(『転法輪』第七講)

 以上を以って、嫉妬心を取り除くように、同修の皆さんとお互いに励ましあいたいと思っています。自分の次元に限られた認識ですが、不足がありましたら、慈悲なるご指摘をお願いします。

 2007年10月5日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/9/28/163414.html