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民間の芸術家・王徳謙さん、再び河北省ライ水県の警官に連行される

(明慧日本)2007年9月8日午後、河北省ライ水県龍門郷の法輪功修煉者・王徳謙さんは、龍門郷の政府に真相を話しに行ったところ、警官に捕まえられて不法にライ水県の留置場に入れられ、悪人は彼を労働教養所に入れると脅している。

 王徳謙さん(53歳男性)は、河北省ライ水県林清寺中学校の優秀な教師で、民間の秀でた芸術家でもある。彼の彫刻は繊細かつ優美で、その生き生きとした様はまるで本物のようだった。彼の双鈎(親指と、人差し指および中指で軸を持って書く)書道は地元の人々に絶品だと称えられ、よく地域の人たちにボランティアでドアや窓の飾りを手伝い、誰もが愛する人だった。深い芸術造詣があるだけでなく、彼は音楽のセンスも抜群で、管楽に精通し、また弦楽を熟知しており、さらに自分で多くの伝統的な管弦楽器も作っていた。任期期間に彼は苦労をいとわず一人で多くの教科を掛け持ち、音楽・体育・美術を全て一人で担当していた。学生に対しては和やかで親しみやすく、真剣に教えていた。学生に尊敬され、尊愛されている真の良師であった。

 2002年、王徳謙さんはライ水県の610弁公室にでっち上げの罪名で不法に捕まえられて、保定労教所に入れられ、自立した生活が出来なくなるまで迫害された。2003年11月、保定労働教養所の李大勇は7日間にわたって王徳謙さんを監禁し、拷問した。王徳謙さんは冷たい床に縛られ、寒い部屋の中で縛られて動けないため、腰痛が激化し、両足の筋肉が収縮し、走行が困難になった。レントゲン検査で腰に椎間板ヘルニアと骨増殖症が検出されたが、労働教養所は治療をせず、その結果、彼は歩くことが困難になった。警官の李大勇は彼に治療しないだけでなく、さらに彼を冷たい床に寝させて、依然として彼を厳格管理班に入れた。それだけでなく、李大勇は常に王さんを侮辱し、挑発した。

 2004年5月10日、労働教養所はいわゆる「攻堅」を用い、法輪功修煉者に対する迫害をいっそう強めた。断固として修煉を続ける20人近い男性法輪功修煉者を暗い4階の部屋に閉じ込め、一人ひとりを違う部屋に入れ、硬いベッドに縛って動けないようにした。劉岳勝を筆頭に、悪らつな警官たちは電棒で狂ったように修煉者を電撃し、法輪功の信仰を放棄するよう脅迫した。極悪な警官らは政治圧力により理性と人間性を失い、電棒で修煉者の陰部を電撃し、修煉者は言葉にならないほどの苦しみを味わい、生きるよりも死ぬほうがましなほどだった。王徳謙さんは劉立傑に体中を電撃され、悲惨な叫び声が運動場と労働教養所上空に響き渡った。

 王徳謙さんの80歳を越える母は半身不随で寝たきりになっている。彼の娘も学校から強制的に退学させられた。娘はまだ幼く、面倒を見る人を必要としている。そのため、家のことは全て彼の妻が面倒を見なければならず、一家はとても苦しい生活を送っていた。祝日を迎えるたびに、ほかの家はみな一家団欒して楽しそうなのに、彼の家はみな涙で顔を洗うように、そのさまは惨め極まりなかった。

 不法に労働教養を強いられる前、王徳謙さんは教壇で真善忍にまつわる物語や法輪大法は素晴らしいということを学生たちに伝えていたため、中学校の校長、劉鉄成は毎月彼の給料から200元を差し引いていた。彼が不法に労働教養を強いられてから、学校側は給料を支払わないばかりか、以前不法に差し引いていた分の給料も支払わず、校長の劉鉄成は彼を停職にした。

 王徳謙さんの長女はここ数年、ずっと邪悪な迫害に耐えてきた。父の収入がなくなり、妹はまだ小さく、祖母の病気を治すのにお金と人の看護が必要であった。家が龍門郷の党の政府のすぐそばにあるために、たびたび家を荒らされたり、監視されたりしてきた。こうした見えない精神的な巨大な圧力のせいで、彼女は山に登り、自殺を図って全てから開放されようと試みたが、家の人が彼女を探し出して家に連れ戻した。

 2007年7月24日午後3時過ぎ、龍門郷派出所の副所長・張濤、張建龍、張愛軍らはまた不法に王徳謙さんの家に押し入った。やっと少し平静を取り戻したこの家は、また彼らによって中から外まで細かく一時間半に渡って荒らされ、300幻想等の物が強奪された。張涛は他の警官を派出所に戻らせて手錠をかけ、王徳謙さんを再び連行したため、王さんは逃げられなかった。張濤はさらに休むことなく王徳謙さんの妻と二人の娘を脅迫し続けた。9月8日に王徳謙さんは家に帰ったが、その後、また悪らつな警官に連行された。

 2007年10月8日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/9/17/162842.html