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大法弟子はこの迫害を終わらせる能力を持っている


 文/中国大陸大法弟子 飛虹

(明慧日本)夕食後、私はパソコンを取り出して、心を静めて法を学ぶことにしました。パソコンを開けると、ディスプレーにはただ「この時になると、まったく違います」(『転法輪』)という言葉しか表れませんでした。それは何を指しているか分からないので、前のページをめくったら、「この時になれば、それを自分の世界と言うことができます。当人は残りの二割の功を持って、圓満成就して得道するのです。二割しか功が残っていないのにもかかわらず、身体に鍵がかかっておらず、あるいは身体を持たなくなり、あるいは身体を持っていても、それはすでに高エネルギーの物質によって転化されています。この時、彼は神通力を大いに顕わし、この上ない威力を発揮します。それに対し、常人の中で修煉している間は、通常鍵がかかっているので、それほど大した力はなく、功がどんなに高くても制限が加えられていたのです」(『転法輪』「玄関設位」)という内容が目に入りました。

 そこで、師父のお諭しの意味が分かるようになりました。同修たちが議論している直ちに迫害を終わらせるということについて私もずっと考えています。つい何日か前に他の同修に「7.20の前に一部の高度な漸悟状態にある大法弟子が力を合わせれば、この迫害を制止することができたという説法を師父がおっしゃったが、これについてどう理解しているのか」と聞いたら、「皆はまだその程度まで修めていないだろう」と同修が答えたのです。「それでは、どの問題に纏わったのだろうか? と私が聞くと、皆は黙り込みました。

 「きっと私たちのまだ理解していない法があるからだ」と私は言いました。「迫害に反対する中で衆生を救い済度するなんて、それは間違いだ。この迫害は異議なしに終わらせるべきだ」とある同修は言いました。しかし、どうやって終わらせるのでしょうか。同修たちはこれについてはっきりとした認識も持っていないし、特にここ何年来、衆生を救い済度することを積極的にやってずっと精進している同修までも迫害を終わらせるのは師父のなさることで、大法弟子は自分の力を尽くして、衆生を救い済度すればいいと思っているのです。更に多くの同修は迫害を終わらせる希望を人権聖火や2008年のオリンピックが行われないこと、悪党の第17回代表大会での、江沢民集団の失脚などに託していて、私たち大法弟子が自分の力でこの迫害を終わらせることを全然考えていないのです。

 師父は『二〇〇七年ニューヨーク法会での説法』の中でこのように説かれました。「全体の状況から見れば、大法弟子は成熟する中で圓満成就に向かっていることはもう問題ではありません。現在、行なうべき最大のことはどのようにより多くの世の人々を救い済度するかです! 衆生を救い済度しましょう! これは大法弟子にとって大きなことになりました」。

 法を正す情勢の要求から、今大法弟子は更に大きな能力を持っていかにして更に多くの衆生を救い済度することができるかという問題に直面しています。私たちはその能力を持たなければいけないのです。大法弟子が迫害を終わらせる能力を持っていないという認識は既に法を正す要求、衆生を救い済度する要求と宇宙の未来の要求に符合していません。大法弟子の圓満はもう問題ではない以上、師父と法の要求を圓容するように大法弟子は力を合わせて、この迫害を終わらせるのも問題ではないのです。「修は己にありて、功は師にあり」(『転法輪』)なのですから、私たちがこの問題を正しく認識しなければなりません。

 別に私たちがこの能力を持っていないわけではありません。私たち自身が自分のことをだめだと思っているからです。迫害を終わらせる能力を十分に持っているのに、まだ人の執着と観念の中に陥って、信じていません。根本的に言えば、それはやはり師と法への確信が足りないからでしょう。

 次元に限られた認識ですが、同修の皆さんの慈悲なるご指摘をお願いします。

 2007年10月10日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/10/7/164035.html