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彭州市:チョウ修竹さんは迫害されて路頭に迷う

(明慧日本)「法輪大法はすばらしい」という真実を伝えただけで、四川省彭州市蒙陽鎮の法輪功修煉者・チョウ修竹さんは彭州市党の官僚により迫害されて一家離散し、精神病院に送られて、290日以上の迫害を受けた。チョウさんを連行した610弁公室(法輪功を迫害のために作った特定機構)の楊建華は恥を知らない人間で、「まあ、一輪の花がまた枯れる。俺は一人の友達を失うんだね(彼女がきっと死ぬという意味)」と喋った。

 法輪功は、人をいい方向に導く教えであり、法輪功を習えば元々悪習慣のある人もよくなり、また病気も治り体が元気になり、悪いことは何一つないのに、なぜ弾圧しなければいけないのとチョウさんはどうしても政府のやり方を理解できなかった。益々酷くなる迫害の前、黙っていることができなくなり、彼女は大法を保護し、実証することを決心した。それで2000年12月30日にほかの修煉者たちと一緒に陳情に上京した。しかし、不幸にして広元駅で警察に捕まり、2日間も監禁された、その後、地元の蒙陽鎮政府と公安出張所により、護送された。同時に、持っていた700元の現金も広元で蒙陽鎮政府所属の鄭宏民(音読み)に取られた。

 2001年9月のある夜、チョウさんは真相を伝えている時に見つかり、地元警察の肖××と鄧××、党書記の鄭貴華、白美春らに彭州市看守所に強制連行され、1カ月監禁された。その間に、奴隷のような扱いを受け、ダンボール箱を作る仕事を強要された。その後、再び肖と付晋らに地元政府に送られ継続して監禁されたが、彼女はずっと絶食して抗議し、4日後に釈放された。

 それからも、彼女は数回にわたり、政府官僚の鄭貴華、喬立君、周平寛らに生活をかき乱され、自宅と職場にまできて攻められたが、彼女は自分の信仰を固く信じ、邪悪に妥協しないで法輪功の真相を伝え続けた。法輪功が人をよい方向に導く非常によい教えであり、法輪功を学習すると元々悪い人間でもいい人になる、それだけでなく病気も治り体が元気になる。これに悪いことは何一つないのに、なぜ、弾圧しなければいけないの? と主張した。これを見た中共の官僚は彼女を目糞のように思っていた。

 2002年7月30日、中共官僚の喬立君ともう1人の公安が彼女を呼び出し、「政府に行くぞ、話がある、数分で終わるから」と言い出した。しかし、チョウさんは彼らの嘘をすぐ見破った。嘘がばれると彼らは、「あなたと議論しても、勝てない。これから彭州市に学習クラス(洗脳クラス)が開かれるから、あそこにすごい人があなたを待っている」と喋った。彼女がきっぱりと無理な要求を断ると、悪人たちは本質を現し、共産党の書記・鄭貴華が率いる十数人の警官が一緒に部屋に侵入してきた。部屋も人でいっぱいになり、80歳を超える年寄りのお母さんを驚かせ、お母さんは怖くてパニックになった。それでも彼女は自分が何一つ間違いことをやっていないので、邪悪に妥協してはいけないと思った。しかし邪悪な中共官僚と警官はやはり1人の女性の刁さんを暴力で無理矢理自宅から連れ出した。その時、80歳のお母さんは連れて行かないでと強く要求した。それを聞いた鄭貴華がお母さんまで脅迫し「黙れ、騒いだらあんたも一緒に逮捕するぞ。年寄りだからといって逮捕しないと思うか!」と叫んだ。恐怖と怒りが同時に80歳のお母さんを襲い、体がぐらぐらして、唇が震えた。こうしてチョウさんは強制連行され、10カ月(303日)も彭州市看守所で監禁された。出張所の曽軍は満足したように「おまえたちはここで一生修煉しなさい!」と暴言を吐いた。

 違法な迫害に抗議し、チョウさんは食料と水を完全に絶った。すると、警官らは彼女を精神病院に移送して迫害を続けた。絶食して303日も経過した間、まる290日間鉄製のベッドの上で、鉄のチェーンで体を縛られた。彼女の監禁室は外から鍵をかけて、夜になると大型番犬と警察の警備も配置された。精神病院に移送された直後、610弁公室の楊建華は看守所に監禁されているほかの学習者に対し、彼女は死んだので火葬されたと騙した。

 不法に監禁されてから10カ月間、党の官僚たちは彼女に迫害のあらゆる手段を使って、心身とともにひどいダメージを与えた。彼女はもちろん彼らの偽善を見破っていた。あの手この手を使っても、邪悪は彼女が師父を信じ、法を信じる信念を揺るがすことはできなかった。面会に来る人たちはみんな彼女が自分の信仰を持ち続ける強い意志に感動して涙を流した。

 監禁中、長期の絶食により、彼女の血管が見つからなくなり、毎日注射するときに、20〜30回刺さないと注射できなくなり、注射した後、全身の力が抜け、体がだるく、頭痛、吐き気がするなどの症状が現れた。点滴がこれ以上できなくなったため、強制的に食べ物を注入し始めた。太いパイプのようなもの(注入用管)を鼻から入れ、1週間も放置した。元上司が面会に来たとき、彼女の様子を見て、驚きと悲しみで名前を呼んだだけで、声が出なくなったという。後で取り出された注入管は真っ黒になっていた。その後、さらに無理やり彼女の口を道具で開けて、食料を注入(灌食)した。そのたび歯が削られ、血が流れた。激痛で彼女が動くと看護師の孫麗が足で彼女の腹を踏み躙った。

 どうしても口と鼻から灌食ができなかった時、精神病院の医師の楊先栄は「刺せ、強く刺せ、入らなくても刺すのだ」と看護師に命令した。チョウさんが何度も悲鳴を上げると、晴れていた天気が突然真っ黒になり、雷を伴い、豪雨が降り出した。天も彼女のために悲鳴を上げた。感動で涙がこぼれる。江沢民政府はいい人ばかりを迫害している。天理も許さないだろう。

 実家に残っていた彼女のお母さんは面倒を見る人がいなくなり、片手に障害がある80歳の彼女は、自力で生活ができない。天気が寒くなる度に、刑務所で拷問を受けているチョウさんはお母さんのことが心配で、涙を流した。お母さんに暖かい食べ物を上げたいが、自分は今自由がなく、毎日酷い虐待、拷問を受けて、命まで脅かされている。お母さんもチョウさんのことが心配で病気になり倒れてしまった。お母さんもその昔、共産党に反革命とされ、迫害を受けていた。

 お母さんは自分がなくなる前にどうしても自分の娘に会いたかったのか他の人が声をかけても何の反応もないが、廊下に足跡が聞こえるたびに目覚め、娘が帰ってきたかどうかを確認した。しかし、いくら待っても、自らの自由が奪われた娘は帰ってくることはなかった。お母さんは待ち続け、失望の中でこの世を去った。その時、チョウさんは相変わらず精神病院に監禁され虐待を繰り返されていた。お母さんがなくなって5カ月経っても、彼女にお母さんが亡くなったことさえ教えてくれる人はいない。

 工場の同僚たちの強い要望で、工場長がチョウさんを保証すると釈放を求めた。それを知った邪党政府はその工場長に対して、無理矢理に数万元の保証金を出せと要求した。しかし、その時、チョウさんの体は極度に衰弱し、命も保障できない状態におちていた。責任から逃れるために、2003年5月30日に邪悪な党の官僚たちは彼女の釈放を認めたが、精神病院の劉正芳がチョウさんのお姉さんから1千元を騙し取った。その後、工場長が政府からのプレッシャーと経済的圧力の前で恐れて、チョウさんの代わりに他の人を入れた。チョウさんはこうして仕事を失った。また監禁中、彼女から17700元、お母さんから1000元が奪われている。

 それでも終わりがなく、政府官僚・ボク世昌と町内会の人は彼女に対する騒がしを続けた。チョウさんが釈放されてから1カ月以上経っても体が元の元気な状態まで回復しなかった。しかも邪悪により毎日騒がれ、仕方なく彼女は体の回復を待たず、家を離れた。

 2007年10月11日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2007/10/9/164151.html