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「朝の煉功」から悟ったこと


 文/中国大陸大法弟子

(明慧日本)明慧ラジオ放送が朝の3時50分から煉功音楽を流すことを明慧ネットで知り、私はいち早くこのことを周りの同修に知らせました。そうすると、皆はこのチャンスを逃してはいけないと思って、7、20の前のような煉功の環境に戻ったように感じていました。私の悟りですが、これにより、師父がずっとよく行っていない、或いはいろいろな口実をつけて煉功しない学習者(私も含めて)に貴重なチャンスを与えて、大陸の大法弟子に全体を形成するいいチャンスを与えておられると思っています。

 長年来、三つのことにずっと励んでいるものの、煉功に関しては、仕事が忙しいとか、睡眠不足になるから、もう少し寝ようとか、もっと多くの時間を、真相資料を作るのに使って、時間のある時にまた煉功を補おう(実際は時間があっても補っていない)という口実で、毎日煉功するまでにはいきませんでした。これはいけない、直さなければと思っていましたが、忙しくなると、やはり気を緩めてしまいました。毎朝、昔と同じように4時45分に目が覚めますが、気が緩むと、また寝てしまって、今度目が覚めたら、もうすっかり夜が明けています。法を正す過程が最後になったのに、どうして自分を厳しく律することができないのか、それは安逸を求める心のせいではないかといつも起きてから悔しく思えてなりませんでした。精進してはまた怠ける、この1カ月はずっとこういう状態でした。修煉は厳粛なものです。このように対処していいのでしょうか。

 「人間の考えが優位に立てば、人間に向かっていきます。神の考えと人間の正念が優位に立てば、神に向かっていきます」(『2005年サンフランシスコでの説法』)師父のこの説法で随分震撼させられました。それからは怠った時、師父のこの説法がすぐに頭に浮かんでくるのです。

 その文章が明慧ネットに発表されてから、同修である妹にうまくやっているかと電話で聞きました。その文章が発表される前に、彼女もいつも朝の三時ころに起きていましたが、毎日というほどではありませんでした。そこで、「全体で煉功するチャンスを大事にしましょう」とお互いに励まし合いました。それから、同じ同修である姉にも電話をかけて、同じ事を聞いたら、できないことはない、煉功者にとってこれは簡単じゃないかときっぱりと返事してくれました。その答えを聞いて、自分も同じようにできると感じるようになりました。その日から今まで、ずっと朝の煉功を続けています。元気一杯で、感じがとてもよかったです。

 その後もう一人の同修とこのことについて交流しました。そんなに早く起きて煉功すると、昼間は眠くてたまらなくなるとその同修は言いました。実は昔私も同じでした。しかし、後でそれは基点を正しく据えていなかったからだと悟りました。つまりその時、煉功すれば必ず元気になると思って煉功したわけです。それもやはり求める心、煉功してから元気がよくなることを求めているのです。それは病気のある人が、体がよくなることを求めて煉功するのと同じ理屈ではありませんか。求める心を抱けば、修煉しても何も得られないのです。

 基点を正しく据えると、すべてが変わりました。これによりまた昔のことを思い出しました。当初、朝起きて煉功するように、目覚まし時計も携帯電話もかけましたが、やはり起きられませんでした。ひどい場合は、自分が目覚ましを止めても分からなかったのです。後に大きな目覚まし時計を買ってきましたが、やはり同じ結果でした。後で分かったのですが、それは外に向けて求めたのです。外に向けて求めれば何も得られません。内に向けて探し、修煉者の態度で修煉に対処し、神の考えですべてのことに対処すればこそ、根本的に変えられるのです。例えば、朝目が覚めた瞬間、もっと寝ようと思ったら、大体は本当に寝てしまうのです。つまり、それは人の考えだからです。もし、 もっと寝ようという考えが頭に浮かんだら、直ぐそれは私ではないと思ってそれを排除すれば、それにより神の一面が作用するのです。実はもっと寝ようという考えは本当の自分ではありません。本当の自分は精進し、煉功しようと思っているはずなのに、寝させて、煉功させないようにしているのが、本当の自分と言えるのでしょうか。

 問題が出た場合、神だったら、どう対処するかというように修煉者の立場で自分に要求すれば、その一つ一つの関を簡単に乗り越えられるのではないかと思います。

 自分の次元に限られた悟りですが、同修の皆さんの慈悲なるご叱正をお願いします。合掌!

 2007年10月11日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/10/8/164097.html