日本明慧
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私の選択:佛教修煉から大法修煉へ


 文/大陸大法弟子

(明慧日本)私は佛教を信じて三年になり、真心から佛門に帰依し、極楽世界に行こうと思っていた。しかし私は腎臓が悪くて一日に何回もお手洗いに行かなければならず、これに私は非常に悩んでいて、夜眠ることができなかった。私の体は一日中元気がなく、どんな薬も効かなかった。ちょうど私が絶望していた時、私は佛教で知り合ったあるお姉さんの家に遊びに行った。私たちは長い間会ってなかったが、彼女の顔色はとてもよく、活気にあふれていた。とても体力が必要な仕事をしていたが、却って元気だった。私は理解できず、彼女に元気になる秘訣は何かと聞いた。彼女は笑いながら私に「私は今気功をならっている。もう一年になるが、昔の病気が全部治った」と教えてくれた。

 私も以前何種類かの気功をやって見たが、どうして私の病気は治らなかったのか不思議に思って、彼女に「あなたが今学んでいる気功はどんな気功なの?」と聞いた。彼女は「法輪功だよ! 真、善、忍を信じる気功だよ」と教えてくれた。私は当時この三文字にとても心をひかれて、「真、善、忍」がとても気に入った。しかし今まで気功に大金を費やして、病気が治らなかったため、私の気功に対する印象はあまりよくなく、佛教を離れたくなかった。私たちは暫く話した後、私は家に帰り、彼女が佛教を離れたことに心を痛めた。

 その夜、私は夢のなかで「大法を学ぶ」という声を聞いた。そして私に本とデープをくれた。目が覚めた後、これは菩薩の意志だと私は思った。次の日私はまたあのお姉さんの家に行って、彼女から本とテープを借りできて「法輪功」を体験しようとした。しかし佛教に対する思い入れが深かったため、やはりとても受け入れることができなかった。ちょうど本とテープを返そうとしている時、突然録音テープから「人間の情を断ち切ることができれば、それに取って代わるものは慈悲の心であり、より高尚なものです」という言葉が聞こえてきた。私はこの言葉に心が打たれた。心の最も深いところが振動され、長く封じ込まれていた心が開かれた。

 こうして私はまたお姉さんの家に行って座禅を教えてもらった。帰ってから私は座禅をやろうとしたが、2分も経たない内に足が痛くて煉功をやめるしかなかった。その時、妹がこれらを目にして、とても興味を持ち、私から座禅を習った。彼女は痛みを我慢して30分座禅した後、嬉しそうに「凄く不思議だ、私は足の底のツボをみたよ! 白い点が点点だったよ」と言った。私はこれを聞いたら急いでまた座禅をし、心の中で絶対妹に負けてはいけないと思った。1時間座禅したが、何も見えなかったし、痛くて死にそうだった。 ちょうど私が迷っている時、一つの大きな法輪が私の目の前で扇風機のように、ちらっと見えたりして、とてもきれいだった。私はとても嬉しかった。これは本当だった、佛法が私の目の前に現れたのであった。

 私はやっと家に帰る道を見つけたのであった。最初師父は私の体を浄化してくださった。二日間熱が出ていたが、私は師父の言葉を堅く信じて、これは業力を消していると分かって、薬を飲まず、二日後熱がなくなった。私は毎日法を勉強し、煉功も続けた。私の睡眠はますますよくなり、多尿の病気もだんだんよくなってきた。一カ月後私は光を見たが、光の中には大きな目があって、まつ毛がとても長く、とてもきれいだった。私は、これは師父が私に造ってくださった「佛眼」であると知っていた。

 三カ月後のある夜、私の目の前にはまるでテレビの蛍光板のようなものがあらわれ、その中には山があり、川もあって、私は馬に乗って前に向いて進んでいたが、まもなくしてまた閉じられた。六カ月後、夢の中で師父は私に「金の輪」をくださった。私は両手で金の輪を掴むと、まもなくして雲の外に飛んで出た。私はもっと高く上がろうとしたが、それ以上は上がれなかった。こうして私は又元のところに戻ってきた。私は自分の功がこれだけしかないと知っていた。

 この半年の間、私は別の空間からの邪魔にも遭った。一回、夢の中で私は西王母に会った。彼女は私に功をあげると言いながら、私に向かって功を出した。私はとっくに「修煉は専一でなければならない」という道理を分かっていたので、すぐ結印して彼女からのものを受け取らなかった。またある日私が座禅をしている時、魔が私に「あなたはもうすごい、功がとても高い」と言って来た。私は心が動じなかった。またある日魔が私を脅かそうとして、とても醜い怪物を造って私に見せた。暫くしてまた魔の首魁のようなものが現れても、私は心がまったく動じなかった。

 絶えず法を勉強し、煉功するに従って、法輪大法はとても速く人を向上させることができると私は気づいた。一冊の『転法輪』には限りない玄妙な道理が含まれていて、私が一層一層古い自分を突破して返本帰真することを指導している。修煉の道は平坦でなく、魔難は私の前に置かれた一つ一つの関であった。肉体的、或いは精神的に苦労をしなければならず、それに耐え抜くことができれば、思想境界が高まってきて、物質的な体も変化して、皮膚は白くなり、キメが細かくなり、歩く時は力いっぱいで、若く見えるようになった。娘と一緒に街を歩くと、みんな私にこんな大きな娘がいる事を信じなかった。 わずか半年だったが、佛教を三年間信じたことと比べられないほどよかった。夫が浮気をした時、私は慈悲心で恨みと不満を抑え、穏やかに別れ、離婚の手続きをした。彼が危急の時、私は真心で彼を助けた。彼は私の善の心に感動し、善良な人になることは無駄にならないと知った。その後、私は生活上、経済的な面で彼の大きな助けをもらった。彼は自分によい未来を選択したのであった。

 私は世の中の縁のある人がみな法輪大法を得て、むだに輪廻をしない事を望む。末法乱世に佛教はもう末劫の最後の時期に至っている。本当の経はあなたの眼の前に置かれている。この千載一遇の機縁を大切にしよう!

 2007年10月12日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2007/4/17/152923.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2007/5/7/85326.html