■日本明慧
http://jp.minghui.org/2007/10/12/mh130073.html
イ坊の李新建さんは再び連行され、不法に洗脳クラスで拘禁された(写真)
(明慧日本)山東イ坊の法輪功修煉者・李新建さんは2007年4月6日晩10時頃、奎文区則爾庄村委員会に行って不法人員に取り押さえられた妻の釈放を要求した時、イ坊市奎文区公安支局国保大隊と北苑派出所、則爾庄村保安人員などに連行された。翌日の午前、奎文支局の谷志勇など4人の警官は、李新建さんの手元から奪い取った鍵で、北宮橋社区町内会主任・王洪剛が道案内をして、家族がいない情況の下で、不法に家財を差し押さえて、財物を略奪した。その後、李新建さんを悪名高いイ坊洗脳クラス(元「工業幹部学校」洗脳クラス)まで連行した。現在まで、李新建さんはすでに不法に2カ月余りそこで拘禁された。
現在50歳位の法輪功修煉者・李新建さんは、奎文区北苑通り北宮橋社区に住んでおり、元はイ坊市労働局に所属するホテルの飲食部マネージャーで。彼は腕がよく職級の高いコックで、人としては正直で善良、住んでいる社内と元の職場での「評判」はよく、この「評判」は彼の料理の腕と人品がよいだけではなく、それは江が邪党とぐるになって法輪功を迫害した数年来、彼は人々の想像を超える残酷な迫害と非人道的な苦しめを受けたからだ。
2000年10月6日、李さんは陳情するために上京した。彼は天安門広場に請願した時、警察にその場で地面に打倒され、警官は足で彼の頭部を踏んで、凶暴残虐にめった打ちした。彼はその時打たれて口の右側から血が流れて、顔面は全体に青黒くなり悲惨で見ていられなかった。イ坊の北京駐在事務所まで引っ張られた後、1人の警官は彼の背中で背中を手錠にかけ、革靴を履いている足で蹴って、彼の頭部と顔を踏み潰した。彼をイ坊につれて帰った後、警官は彼を不法に奎文留置場に拘禁した、彼は断食して抗議した。奎文区公安局の1人の警官は導食管を連続して彼の鼻の中に差し込んでは抜き出し、11回も繰り返した。管を抜き出した時は1本の血の箸のようだった。1カ月後、李さんはイ坊昌楽労働教養所に送られて3年間不法に労教された。
イ坊昌楽労働教養所の所長・徐立華、副所長・鄒錦田及び二大隊警官リーダ丁桂華、朱偉楽などは、労教人員に指図して強制に彼を「転向」させようとして、大法を誹謗し、師父を口汚くののしるものを彼に読むように強制して、読まないとベルト、ベッドの足、机の脚で叩いた。李さんは打たれて地面を転がって、片方の耳は腫れて、長い時間よくならなかった。なんと腫れて耳の穴はきっちりと塞がれた。厳しい寒さの冬に、警官は数回彼の服をすべて脱がせて苦しめた。
昌楽労働教養所で約1カ月拘禁したのち、警官はまた彼を山東王村労働教養所に送った。李新建さんは引き続き断食して抗議した。警官は灌食を行ない、管を胃の中に挿して抜き出さなかった。李新建さんはこのような迫害を40数日間受け続けた。警官はまた労教人員に彼と他の意志の固い法輪功修煉者を小さい腰掛に座るように指図して、両足は直角に、両手は足に置き、少し動いたら殴ったり蹴ったりして、一旦座ると6時間、臀部の6センチ直径範囲の皮膚が破れて出血するまで座らせた。
警官はまた李さんを2段ベッドに手錠ではめた。また両手を反らして2段目のベッドに吊り上げて、つま先は地面につけ、もう1本の足は縄でベッドの端に吊り上げ、時には片手を上の段にはめて片手を下の段にはめ、しゃがむことができず、立ち上がれず、腰を曲げながら、毎日朝6時から晩10時まではめ、再び晩10時から朝6時まではめた。(模擬図1)
拷問の写真(模擬)1
警官はまた労教人員に李さんの手錠を天秤棒の両端にはめるように指図した、労教人員は2人で交替して、手に棒を持って彼に目を閉じさせない(模擬図2)、瞬きすると顎をついて、額を叩く音は豆腐売りの拍子木みたいで、20数日すると李さんの足が腫れ、両手の腕は皮が破れて肉がぼろぼろになって、膿や血が出て、両手両足が腫れてボクシングの手袋をはめたようになった。こうなってもまだやめなかった。労働教養所はまた武装警察を招いて、意志の固い法輪功修煉者を迫害した。警官は李さんの服を全て剥いで10数本の電気棒で、8時間電撃した(模擬図3)。李さんは2000年末、かつて連続27日間朝6時から晩10時までベッドに吊り上げられて、半飛び体刑で苦しめられた。また晩10時から朝6時まで天秤棒に縛られて眠ることを許されなかった。
拷問の写真(模擬)2
拷問の写真(模擬)3
2006年4月8日、労働教養所から出て2年位の李さんは、坊子区の公共バスに乗る際世間の人に真相を伝えて、私服警官のスパイに遭い、またイ坊留置場まで連行された。当日奎文区公安の警官は委員会主任・王洪剛の案内で李さんの家に突入して家財を差し押さえた後、数カ月間不法拘禁して家に帰らせた。
1年後の2007年4月6日、彼は村の委員会に行って理不尽に取り押さえられた妻(世人に真相を伝える時悪人に村の委員会まで捕まえられた)を連れ戻すため、再度連行され、家財を差し押さえられ、不法拘禁された。
(注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)
2007年10月12日
(中国語:
http://www.minghui.org/mh/articles/2007/6/25/157552.html
)
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