河北省山海関の法輪功修煉者・トウ文陽さんが迫害によりこの世を去る
(明慧日本)河北秦皇島市山海関の法輪功修煉者・トウ文陽さんは1999年以来、何回も中共の警察に連行され、労働教養された。2007年9月26日にトウ文陽さんは再び連行され、高陽労働教養所に送られ、十日間余り迫害された後、この世を去った。
法輪功修煉者・トウ文陽さんは2007年8月15日、中国共産党の警官に不法に連行された。情報筋によると、当日の夜だけで山海関警察の張徳岳、付勇らは法輪功修煉者22人を一斉に連行したという。2007年8月30日、警察は法輪功修煉者・トウ文陽さんを高陽労働教養所に強制連行したが、健康診断の結果が不合格であったため、その場で釈放された。
トウ文陽さんは迫害を受け、体がまだ十分回復していないにもかかわらず、2007年9月26日、警察局長・趙然と610弁公室トップの張徳岳は30人の警官を率いて再びトウ文陽さん宅に突入し、ベッドに寝ていたトウ文陽さんを強制連行した。当時、下着しか着ていなかった鄧文陽さんを、無理やりパトカーに押し込んだ。年配の鄧文陽さんの母はその場面を見て、突然に襲われた恐怖と悲惨なできことにショックを受け、意識不明になって倒れこんだ。
2007年9月26日、法輪功修煉者・趙春明さん、何秀傑さん、鄧桂雲さん、董玉賢さん、王桂芹さんたちは再び警察に連行された。
警官はトウ文陽さんを山海関拘留所に一晩監禁した後、翌日、何の手続きもしないまま高陽労働教養所に送り込んだ。連行されてからわずか十日間でトウ文陽さんは酷い迫害により2007年10月8日にこの世を去った。30歳の若さであった。遺体は今も保定高陽労働教養所に放置されている。この殺人事件の詳細は現在調査中。
トウ文陽さん(30歳男性)は、山海関橋梁工場の職員である。1999年に法輪功が中共に迫害されて以来、鄧文陽さんは法輪功の修煉を堅持し続けたため、不法に労働教養3年の実刑判決を受けた。それから開平区労働教養所で残酷な迫害を受けた後、保定市高陽労働教養所に移送され、さらに非常に残虐な迫害を受けた。1999年後半のある日、高陽労働教養所の警官は十数人の法輪功修煉者たちを工場の一角に連れ出し、ひざまずかせた状態で両手に手錠かけ、30分毎に電撃を繰り返したという。ひざまずかせた状態で両手に手錠かけたまま十数日間も虐待し続けトウ文陽さんが意識不明になるまでずっと虐待し続けたという。2002年、意識不明の状態に陥ったトウ文陽さんは釈放された。
同じ労働教養所で虐待を受けていた同修の話によると、当時、警官は鄧さんを電撃した後、さらに残酷な拷問を加え、両手と両足に通電線を巻き、それを手で回す電話機とつなげ、警察らはずっと電話機を回し続けたという。深夜を過ぎてからやっと少しの食糧(黒くて硬く乾いた饅頭2個程度のみ)を配った。宿泊場所の条件もとても悪かったという。四面から通風している廃棄工場の一角で泊まらせ、真冬でも暖房がなく、100人以上の「受刑者」(刑事犯を含む)がこのような場所に入れられたという。
山海関警察一課課長・張徳岳と同僚の付勇はこの数年間、山海関で起こったすべての法輪功に対する迫害に参与していた。2003年6月秦皇島山海関区、市内地区の警察、および610弁公室は結託して、大勢の法輪功修煉者の逮捕に出た。年配の女性でさえ容赦しなかったという。その結果、数十人の法輪功修煉者が逮捕され、労働教養を強いられ、怪我と身体障害を与えられた修煉者が何人も出たという。
2007年4月14日、警察の張徳岳と付勇が再び法輪功修煉者・韋丹権さん、劉長富さん、安玉敏さん、鄭志成さん、鄭超さん、楊暁勇さんを何の根拠もないまま逮捕し、自宅を荒らし回ったという。この数年間、山海関では数十人の法輪功修煉者が労働教養を強いられ、数百人が不法に監禁、拘留、洗脳され、罰金を強制され、拷問を加えられ、精神病院に入れられた。そのため、障害や死に至った人が多数出ているという。
2007年10月13日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/10/12/164333.html)
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