日本明慧
■印刷版   

深く隠れている心を取り除き、自我への束縛を乗り越える


 文/中国河北省の大法弟子 恵蓮

(明慧日本)『転法輪』の中に「煉功の時にあれこれと妨害が現われてきた場合、まず自分自身から原因を捜し、まだ何か捨てなければならないものがあるのではないかと考えるべきです。」の部分を学ぶと、自分は何をまだ放下していないのだろうか、と考えます。

 私は、修煉中のとても強くて頑なな執着、つまり圓満や向上への執着があると気が付くようになりました。そのせいで、いつも大法、衆生と自分の関係を正しく据えられず、個人修煉の枠から抜け出せなかったのです。法理上、大法と衆生を第一位に位置づけなければならない、新しい宇宙の生命の本性は無私無我であるとはっきり分かっています。しかし、具体的に行動に移ると、やはり私心のとても強い現れになってしまいます。

 人に真相を伝える時、いつも無意識的に自分を第一位に位置づけてしまいます。三つのことを行うのも自分を高めるためであるという心が裏に潜んでいました。これらの心は自分で感じますが、なかなか私(し)のためという考えから抜け出せなかったのです。それから、今になっても家族はまだ真相をよく分かっていません。それは自分の私心、恐れる心、安逸を求める心のせいだと分かっていますが、その裏にまだ何か意識していない執着が隠れているような気がしました。今日、法を学ぶ時に急にそれがどんな執着であるかを悟るようになり、法を学ぶことの重要さを再び感じました。

 私は常人社会では性格も能力も強い方ではありません。だから、最大限に自分を保護するために、何事も争わない、簡単に人に頼まない、損をしても我慢する、他人のごまをする方法を身につけたのです。それはちょうどカタツムリのように、他の能力がないため、傷つけられないように分厚い殻で自分を守るのと同じなのです。

 私も利益をある程度捨てられます。しかし、私が一番重要に思っている、最も根本的な利益、例えば、私心、自分の次元を高めたい心に関しては、傷つけられないようにいつも分厚い殻で守っているのです。普通私は、なぜ損をしても気にせず、利己的でないと見られているかを知っています。しかし、最も身近な人にとって、私は他人のことに無関心で、非常に利己的だと思われているのです。

 その「自分を保護する心」はとても強い執着で、私の修煉の道を厳重に妨害していると意識するようになりました。私は自分の根本的な利益を守るように、いろいろな口実をつけて自分の執着を隠そうとしていたのです。またこの執着を見つけるに従って、ずっと私が困惑していた問題も分かるようになったのです。つまり、以前は自分が利益を重く見ていない、わりと精進していると思っていましたが、修煉の道程の最後になるに連れて、かえって人心がとても重くなってきたと感じました。それは他でもなく、「自分を保護する心」によりもたらしたのです。そして、こういう思惟方法を変えないと、旧勢力の妨害からもなかなか抜け出せないのです。それから、内に向けて探すこともよく行っていないことが分かりました。だから、これから何かの問題に遭ったとき、その根を掘り出して、根本から取り除くようにしたいと思っています。

 今後、師父の慈悲なる救い済度を無にしないように、三つのことをよく行い、勇猛に精進していきたいと思います。

 不適当なところがありましたら、慈悲なるご叱正をお願いします。

 2007年10月13日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/10/8/164117.html