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中国共産党は、私の家庭を崩壊し、家族を殺した


 文/作者の口述を同修が整理

(明慧日本)私は、陳西省の農村に住み、夫・息子・嫁・娘・孫と一緒に6人で暮らしていました。私の家族は1998年から幸運にも法輪功を修煉し始めました。

 法輪功を修煉する前、夫はさまざまな難病に罹り、長年薬を飲み続けても、根治できませんでした。私達の一人息子は、1997年の旧暦9月6日に、事故に遭って西安医科大学附属病院で救急治療を受け、4カ月間以上も入院してやっと命を取り戻すことができました。しかし、重度の麻痺になったため、退院する時、病院の医者は私に、「あなたは本当に心の準備が必要です。希望を持っても、息子は良ければ1年間、悪ければ半年しか生きることはできません」と言いました。この話は、私の家族の心を凍りつかせました。夫はこのショックに耐えられず、再び病気になりました。私は、つらい気持ちを抑えて笑顔で、ベッドから離れられない二人の重病患者の面倒を見ました。しかし、彼らが見ていない所で涙を流す生活をしていました。

 本当に、天に叫んでも、地を呼んでも助けはなく、どうしようもないと思っていたとき、知人の紹介で、1998年の旧暦4月25日から、法輪功を修煉することになりました。私は、ベッド上で生活する夫と車椅子で出かけることを嫌がる息子にも、学法と煉功ができるようにするため、自分の家に煉功場を作りました。私は字が読めなかったので、他の人に読んでもらうよう頼みました。夫と息子も学法と煉功を通じて状態がどんどん良くなり、夫は1年間も薬や注射を受けず、農家の仕事をすることができ、息子の心理状態や体の情況もどんどん良い方向になりました。私も、心が広くなって、希望と喜びの中で過ごすことができました。本当に、法輪功が私に光明を与えて下さったのです。

 しかし、中国共産党は、私達の穏やかな生活を壊しました。1999年7.20、中国共産党が法輪功を不法に迫害してから、私の家族の行跡は監視され、電話は盗聴されました。また、警官と郷政府職員は、3日間に二度ほど私の家に来て騒ぎ立て、脅迫し、私達が学法、煉功することを禁止しました。もっと酷いことに、2000年正月、一番下の娘と婿が結婚して旅行に行きましたが、警官は二人をずっと不法に監視し、旅行の途中で二人を不法に逮捕しました。その後、娘は正念で脱出できましたが、婿は不法に懲役2年半の判決を受けました。

 娘のことは、私達の血が染み出る心に塩をかけたようでした。そこで、身体の弱い夫は再び倒れました。しかし、警官は私達一家に対して、いつも交代で私の家に来て騒ぎ立て、法輪功を修煉しないという表にサインして保証するように要求しました。私達がその要求を拒否すると、警官は時間があるたびに来て、私達を脅しました。

 2000年1月26日昼、警官たちは3回も私の家に来ました。最初は、派出所の警官たちが1台の車に乗って来ました。次は一人の警官が来て、3回目は郷政府の人達が1台の車に乗って来ました。彼らは、私達を脅迫し、精神的に圧力をかけました。そこで、翌日(1月27日)、夫は恨み心に残したままこの世を去りました。このような情況下でも、悪人達は止めることなく、絶えず脅迫、監視、恐喝を行い、私生活を妨害してきました。

 2001年6月5日、私の息子もこのような強烈なショックに耐えられず、この世を去りました。

 私は、悲しみを乗り越えて孫と一緒に生活し、学法と煉功も続けてながら、人々に法輪功の真相を伝えました。しかし、良心を失って悪事ばかり行う中国共産党は、口では人民のためだと言いながら、人間性を失った悪事をしていました。

 2005年7月8日、警官は私の家に不法に侵入して、私の家のすべての法輪功の関連資料と貴重品を略奪し、60歳近い私に対して罵り、顔を殴り、髪の毛を引っ張り、拳や脚で殴り、私の身体全身に怪我をさせました。当時、私の全身は青や紫色などの傷が残り、顔は殴られて赤くなり、腫れてしまいました。警官は、私を留置場に送り、1年半も労働教養させると言いました。その後、三日目に私の両手に手錠を掛けながら、「法輪功の書類はどこで手に入れたのか?」と聞きました。そこで、私は、「その書類は衆生を救うためです。本当にひどいです。あなた達に髪の毛を引っ張られてこのような格好になりました。今、私の孫は10歳にも満たず、面倒を見る人がいません」と言いました。しかし、警官らは、「誰がおまえに孫の面倒を見るなと言った。自分が法輪功を修煉するからだ」と言いました。私は、「法輪功は良い人間になるように教えてくれます。一体どこが悪いのですか?」と聞きましたが、一人の警官が私を指差しながら、「お前は本当に李洪志に忠実な弟子だな」と言い、その場を出ました。警官らは3回も私を審問して結果がないと、私に1年半労働教養させると言いました。私は、不法に監禁されていた期間中、毎日正念を発し、法を暗記しました。また、そこに監禁されている受刑者たちに法輪功の真相を伝えました。そこで、そこに監禁されている受刑者たちは、家に帰ったら私と一緒に法輪功を修煉すると言いました。不法に監禁されていた期間中、警官は二つの病院の医者を呼んで4回も私に対して身体検査を行いましたが、毎回の診察で高血圧、心臓病と診断されました。そこで、私は不法に42日間監禁された後、釈放されました。

 2006年8月30日、私は妹と一緒に法輪功の真相資料を配っていた時、悪人に不法に逮捕されました。私達は、彼らにずっと法輪功の真相を伝えましたが、彼らは受け入れようともしませんでした。私は、「私達の師父は人間を救っているのです。現在、交通事故、SARS、砂嵐、洪水がたくさん発生しています。もし、私の息子が法輪功を早めに修煉していたら、今も生きているかも知れません。良い人を絶対に迫害しないでください。私は、他の人が私のような不幸な目に遭わないよう望み、皆さんに真相を伝え、資料を配ることによって衆生を救おうとしています」と言いました。しかし、彼らは私を外県で不法に監禁し、私達を不法に1年半労働教養させると言いました。

 西安女子労働教養所に着いた後、2人の警官は早めに私達を所内に監禁しようと思っていましたが、監獄の医者が身体検査を行わないとだめだと言いました。身体検査で血圧を測る時、一人の女性が来て、私達がどんな犯人かと聞き、私達が法輪功修煉者であると聞いて、「法輪功修煉者は、ここではなくて、大きい病院に行って身体検査をする」と言いました。二人の警官は、自分達が早めに帰ることを妨げたと怒って言いながら、「こんなことは初めてだ」と言いました。大きい病院で検査を行った後、医者は私達が病気に罹っていると言いながら、病名は教えてくれませんでした。そこで、私達は再び労働教養所に戻りましたが、労働教養所は私達の入所を拒否したため、私達は少しほっとしました。警官は、私達を地元に戻すとか、当初私達を受け入れるべきではなかったとか、このようなことは初めてだとか、帰る道でずっと話し、帰ってから仕方なく私達を釈放しました。

 2007年10月13日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2007/10/9/164163.html