日本明慧
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大法の資源、「自らの一切」を無駄遣いしてはいけない


 文/中国大陸大法弟子

(明慧日本)師父の説法 《法輪大法—オーストラリアの修煉者に対して法を説く》jの中で、師父は無駄足の出費、大法の資源をそのように浪費することについて説きました。私は、これに内心触発され、個人的に大変感銘を受けました。私の感じたことは、本当の大法弟子として、完全に大法に属し、一切は大法が与えたものであり、全てが大法のものだといういことです。よって、自分の持っている全て、例えば金銭、物質、技術、引いては生命などを大事にして、その全てをなるべく大法の為に使うようにしなければなりません。

 金銭においては、多くの人が自分のものであると認識しがちで、少し出しただけでも「私は代価を支払った」と思い、多く出した場合には、達成感、功績を立てたような自己顕示欲を持っていて、更に、余計に出してしまったと不公平に思っている人は少なくありません。そして、大法弟子として、代価を支払うのは当たり前のことであるということをまだ意識せず、自分の生活の為なら必要なくても、考えもせずにたくさんお金を使っているのに、大法のためなら、偶にちょっぴり出したとしても、よくよく損得を比較判断してから、やっと出すようにする人も居ます。それは自分のお金だから、自分のために使うのは当たり前だが、大法の為では考えてしまうのでしょう。

 しかし、私が考えるには、何が自分のものなのでしょうか?全てが大法のものであり、生命もみな大法が与えたものであり、私がまず考えるべきは大法であり、大法の需要があれば、それに応え、浪費をしないようにして、大法の資源を惜しむべきです。技術においても、能力においても、金銭においても、わたしたちは自ら甘んじてはならず、他の人も羨ましがることなく、それによって自己を充実させ、それを用いて法を実証して衆生を救済し、よしとしなくてはなりません。またそれらの資源を自分が持ったとしても、自慢する必要もなければ、見せびらかす必要もありません。

 私は多少ゆとりがありますので、自分の為に使った費用をそんなに節約していません。また自分のお金なので、使いたいだけ使っていいという享楽にふける心も潜んでいました。しかし、師父の説法で心から深く目覚め、一切は大法のものであると感じ入り、私欲の為に自己を放縦し、大法の資源を無駄にしてはいけないと認識するようになりました。

 以上は真心からの感想です。同修の皆さんと分かち合えればと思っております。

 2007年10月16日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/10/11/164257.html