日本明慧
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法理の認識の上で、向上すべき

(明慧日本)私はいま全体に対しての認識不足がいくつかあり、書き出して皆さんと共に検討し、不足なところはご指摘をお願いします。 

 (1)旧勢力の按排に関する認識はまだ足りない

 どうしてこのように言うのでしょうか? 今の私達は、旧勢力に按排された、法を正す中でマイナスの作用を働く生命に対して、すでに認識はとても深くなりました。しかし旧勢力に按排された法を正す中で正の作用を発揮する生命に対してまだ認識が不足しています。法を正す基準により、正の作用を発揮する生命の部分はやはり法を正す要求に達しませんでした。正の作用をする生命はどんな表れなのか? 彼らの「良の中の悪」はどこにあったのか? このような「良の中の悪」は私達の体にどのように表れたのか? このような「良の中の悪」は迫害の中でどんな作用を発揮したのか? 私達はよく考えてみるべきです。法理の認識上で、よく理解し、更に旧勢力のすべてに対して、徹底的に否定すべきです。

 (2)法を正す修煉時期に、法を学ぶことと心を修めることの二つの方面の誤解

 先生は私達に、衆生を救い済度することは個人修煉を遥かに超えると教えられました。実践の中で、私達全体にこのような現象が現れました。時に多くの事が大変忙しくなり、多くの事をやれば多く衆生を救い済度できると思い、法を学ぶことと心を修めることは個人修煉段階なもので、少し副次的な位置に置かれると思いました。

 私の悟りですが、実は「衆生を救い済度することは個人修煉を遠く超える」という「個人修煉」というのは、個人の円満成就のために修めるということです。私達が絶えず法を学び、心を修めて、自分を修煉しているのは、私達の境界を絶えず昇華するためで、師父の正法を手伝い衆生を救い済度する能力を備えて行っているのです。法を学び、心を修めることは、このような形式ですでに個人修煉段階に属するわけではなく、大法の事をすることが多く衆生を救うということと等しいことではありません。

 私達は師父の正法、衆生を救い済度するのは、立体的な空間でやっているので、私達は常人の空間で真相を伝え、法を実証しています。同時に他の空間の能力を動かして、神通で邪悪を除きます。私達は法を離れて事をやることができますか? 私達はいつも学法と修煉でリラックスし、事をするのに忙しくなるのは、人が事をしているからではありませんか? これは師父の正法の邪魔になって、同時に私達が法を正すことに参与することを妨げていませんか? だから私達は必ず三つの事を同時にしっかり行うべきなのです。

 2007年10月17日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2007/10/7/164039.html