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百パーセントの慈悲心で人を救う

(明慧日本)師父の新経文『2007年ニューヨーク法会での説法』を勉強した後に、法を正す最後の階段に人を救うことの重要性を悟った。

 師父は「現在、行わなければならない一つの重要なことは、如何により多くの衆生を救い済度するかということであり、これは現在、大法弟子が圓満成就する過程でやり遂げなければならないことでもあります」とおっしゃった。

 ほかの学習者との交流を通じて、今人を救うことを多く行い、真相資料をなるべく多く配布し、世の人々にできるだけ真相を知るチャンスを与え、縁のある人を1人でも残さないように努力しなければならないと分かった。法理を悟っても、実際に行うと様々な人心があるため、全力を注いで行うことができない。特に怠惰な心が目立っている。瞬時に去っていくこの一瞬一瞬の、人を救う貴重な時間を逃してしまう。次に自分がCDを書き込むときに体験したことを同修と交流したい。

 最近、CDの書き込み中、いつも90%書き込んだ状態で停まってしまう現象が起きた。当時、これは師父が何かを悟らせてくださっているとは思わなかった。逆に邪悪の妨害と思ってしまった。正念を発してからCDの書き込みを続けたが、やはり100%までいかなかった。どうしても失敗を繰り返してしまう。

 私はこの状況を同修に伝えて、アドバイスをお願いしたが、「内に向けて探すように」との返事が返ってきた。そのとき、何も言わなかったが、心の中で自分に強い正念があり、執着はないと思っていた。たぶんこの間あまり集中できず、家事をやりながらCDを書き込んだせいだと思い込んでいた。もう1回やって見ようと思って、発正念をしてから集中してCDを書き込み続けたが、効果はなかった。

 そのとき、心が揺れ始め、心を見つめ、執着を探すのではなく、逆に外に向けて原因を探り始めた。このとき、CDの質に問題があるという虚像が現れた。当時、本当の原因を突き止めたと思い、翌日ほかの学習者に、このメーカーの製品を買わないようにと言わなければならないと思った。

 しかし、翌朝になって、私はこの問題において、隠れている執着を見つけていないことに気づき、心を静め、内に向けて探し始めた。その時、「これは間違いなく、師父が私に悟らせておられるのだと思った。人を救うには百パーセントの慈悲心が必要。CDを100%まで書き込まなければ、完成したことにはならないように、百パーセントの心遣いで人を救わなければ、圓満できないということである。これは、私の怠惰な心に対して悟らせておられるのではないか? 私は人を救うとき、最大の慈悲心をもってできるだけ時間を作って行っていないのではないか?」と突然悟った。法を正す最後の段階に入り、人を救うことは益々緊迫状態に入っている。まだゆっくりしていられるのだろうか? このままだと、法を正すことの進展と足並みを揃え、大法弟子の威徳を樹立し、圓満成就することができるのだろうか?

 私と同じように怠惰な心を持っている学習者は、早く執着心を捨てて、百パーセントの慈悲心で最大限に努力し、人を救い済度するようにしていただきたい。執着心が分かってから、再びCDを書き込むとき、何のトラブルもなかった。非常に順調だった

 以上は個人の悟りで、適切ではない部分があれば、ご指摘を頂ければ幸いです。

 2007年10月18日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2007/10/16/164619.html