衆生のことを第一に考えて始めて迫害を終わらせるのである
文/台湾大法弟子
(明慧日本)「迫害を直ちに終わらせる」に関する文章が掲載されて以来、大多数の同修は昔旧勢力を全面的に否定していないことや、迫害を直ちに終わらせなければならないことなどを認識するようになりました。しかし、我々の認識がずっと高まっていい原因はどこにあるのかと私は思わず考えてしまいます。もしこの原因を究明しないと、迫害を終わらせるべきだと分かっていても、やはり実際には終わらせることができないのではないでしょうか。
個人の理解ですが、ずっとこの問題を認識しなかったのは我々が自分の向上を第一位に考え、衆生を救い済度しようとする心がそんなに強くなかったからです。少なくともそれは正念が足りない原因のひとつであるように私は思っています。今は法を正す修練であり、個人修練ではなくということは皆分かっています。しかし、その私心がまだ取り除かれていないため、何かあるたびに、やはりまず衆生ではなく自分のことを真っ先に考えてしまいます。
もし衆生のことばかりを考えていれば、我々は恐れる心がなくなることになり、また迫害を恐れることにより迫害を招くこともなくなるのです。もし人を救うことばかりを考えていれば、中共が許さないことをすれば、違法になり、迫害される可能性があると言うように考えなくなります。冷静に考えれば分かると思いますが、人を救うのは違法と言えるのでしょうか。迫害を黙許すればかえって迫害を招いてしまうのです。もし心に己がないとすれば、ひたすら迫害の中で修錬するのではなく、迫害に反対し、衆生を救い済度しようとするのです。もし自分自身の向上を考えなければ、迫害されたかどうかによって、同修の修錬の良し悪しを論議することもないのです。そうでないと、旧勢力の試練を認めることになるのではないでしょうか。もし自分のことを考えなければ、真相を伝える時、歓喜心や己惚れる心を生じることもないのです。そうでないと、“自分を実証する”ために“迫害されながら真相を伝える”ことを望み、即ち迫害を求めることになるのではありませんか。
師父はこのようにおっしゃいました。“以前、私は「天が変わろうとすれば、誰も止めることができません」と話したことがあります。(拍手)このごく小さな悪党に何ができますか?もし、今日大法弟子の修煉が終わり、このくらいの人だけを救い、救おうとする世の人々がこの程度で、すべてがここで終わるのであれば、悪党は一日も経たないうちに解体してしまいます。(拍手) 悪党が存在する目的、歴史上に悪党が造られた初期とその維持過程は、すべて今日大法弟子が法を実証するために使われるものです。これは、旧勢力により按排されたものです。”(《米国首都法会での説法》)
私の理解ですが、大法弟子がよく修煉し、効果よく衆生を救い済度さえすれば、全国民が迫害に反対する天象が自然に現れます。そうすると、迫害も自然と終わるのです。
次元に限られた認識ですが、不当なところがありましたら、慈悲なるご指摘をお願いします。
2007年10月19日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/10/15/164497.html)
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