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執着を旧勢力に利用される「恐怖心」を取り除く

(明慧日本)最近のここ数日、急に自分の恐れる心がとても重いことに気づきました。2003年に労働教養所を出所してから、私は元の地区に留まることなく、直接よその地方へ行きました。しかし、今年の八月に、仕事の関係で私は元の都市に戻らなければなりませんでした。元の都市では今年の始めころに学習者が大量に不法に強制連行された事件が起こったので、戻ってきたころから、心の中に再び捕まることを恐れる心がずっと潜んでいました。法理の上では明白で、それが旧勢力を認めることだと分かっているのに、抜け出せなく、状態は良かったり悪かったりでした。特に、自分はまだたくさんの執着心があるし、名誉、利益、情けの心をまだ完全に放下していないから、どの執着も旧勢力が迫害する口実になれるといつも思っていました。この考え方が間違っていると分かっていても、それを抑えることができませんでした。甚だしい場合、邪悪が来たら、どうすればいいか、家の中のものをどうやって配置したらいいのか、公安に大法の本と資料が見つからないようにするには・・等々を考えるまででした。こういった考えは正念ではないとわかっているのに、依然として邪魔は深刻で、自分も気落ちしていました。しかし、心の中で、法を学ぶことこそ、全てを打ち破ることができると分かっています。

 今日、法を学ぶ時に、師父が『転法輪』の中でこう説かれました。「(附きもの)それからこのような人もいます。以前身体に憑き物があると人に言われ、自分自身もあるように感じましたが、取り除いてあげてからも、気病みが消えず、いつも以前の状態がまだ残っていると疑っているのです。それはすでに執着心になっており、「疑心」と言います。時間が経つにつれて、また呼び戻してしまう恐れがあります。あなた自身がその心を捨てなければなりません。もう何も残っていないからです。一部の人たちについては、われわれが以前講習会を開いた時にすでに処理し、わたしはすでにそれをやりました。あらゆる憑き物を取り除いてしまったのです。」というところを学ぶと、さっと分かるようになりました。

 師父は何度もおっしゃいましたが、我々は旧勢力の按排を根本的に認めないし、更に旧勢力そのものも認めないのに、私はまた何を恐れているのでしょうか。私は師父の弟子であり、執着心があるとしても、それは自分の修煉の中での問題で、別に旧勢力に試練させるためのものではありません。昔、間違いを犯したとしても、それは関をうまく乗り越えないに過ぎず、旧勢力が余計に関や難を設ける口実になってはいけません。私は師父の按排された道しか歩まず、旧勢力といささかの関係もありません。ここまで悟って、また自分の恐れる時の心理状態を思うと、自分も可笑しく思いました。

 それはやはり師と法への確信が足らないことから出てきた問題なのでしょう。それから、自分のもう一つの執着心、つまり、執着があるのを恐れる心も見つけました。自分が良くない考え方や執着があると気づくと、直ぐその執着に隙に付け入れられ、迫害されるのではないかを恐れてしまったのです。それはやはり法を正す時期の大法弟子の意味を完全に理解していなく、更に法を正す時期の大法弟子の標準にまだ達していないからだと思います。

 ここまで考えると、自分と同じようにこの執着を持っている同修にも参考になってもらいたいと思って、この会得を書き出してたわけです。

 2007年10月21日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/10/16/164503.html