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河南省油田:潘冬梅さんは住所不定の状態を余儀なくされて3年

(明慧日本)2004年9月21日から現在に至るまで、潘冬梅さんは住所不定の状態を余儀なくされて3年が経過した。ただ「真、善、忍」という信念を放棄せず、良い人になろうとするだけで、家に帰ることができない。潘さんは、脳卒中で倒れて体が不自由な80歳の母親がおり、当時大学2年生と4年生の子供がいた。娘として病床の母に親孝行ができず、母として子供に対して責任を尽くせないことを余儀なくされている。

 潘冬梅さん(56)の実家は、河南省油田掘削二区にある。1975年に河南省唐河県社で職に付いた。潘さんは現金出納係、主管会計士、経理部長、会計監査部長、唐河県社紀律検査委員会、特別任命会計士を歴任した。しかし、潘さんは政府機関の暗闇及び官僚らの腐敗に耐えられず、自ら辞職した。1999年3月27日に胃がんと診断されたが、法輪功を修煉し始めたことにより、九死に一生を得た。現在まで、すでに8年を経たが、一度も薬を飲んだことがなく、心身ともに健康である。

 2004年5月1日、中国共産党の「国際労働デー」期間中、潘さんは法輪功の真相資料を配ったという理由で、河南省油田国保大隊大隊長・張振義に強制連行され、唐河留置場に送られた。その後、南陽政法幹校の強制洗脳クラスに移され、迫害され続けた。警官は法輪功真相資料を作成する拠点を破壊するために、「長い糸をつけて大魚を釣る」という陰謀を企て、彼女を釈放した。それ以来、警察の尾行と待ち伏せによる監視を抜け出すために、潘さんは住所不定の状態を余儀なくされた。

 住所不定になって以来、潘さんの親族は警察から多かれ少なかれ様々な妨害を受けている。2004年正月頃、彼らは強制的に潘さんの息子を家に閉じ込め、禁足させた。昼夜問わず、24時間の監視を行った。その狙いは潘さんを逮捕することである。2005年3、4月頃、潘さんの息子はもう耐えられなくなって家を離れた。

 潘さんの娘も、同じく精神的な圧力と妨害を受けている。悪らつな警官らは潘さんが現れないと、潘さんの娘の大学にまで行くと脅したこともある。潘さんの親戚らは警官を厳しく非難したことで、警官らは傲慢な態度を変えた。

 2007年10月21日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/10/18/164737.html