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彭仕璞さんは出獄して4日後に再び連行に直面 母親はショックで死亡

(明慧日本)四川省広安の法輪功修煉者・彭仕璞さんは8年以来、3回にわたって不法に労働教養を強いられ、合計6年以上も拘禁された。2007年10月7日に出獄したばかりで、地元の警官に再び洗脳クラスに連行されるところだった。重病を患っている彭仕璞さんの80代の母親は、娘と会ってからわずか4日で、人間性を失った中共の者に脅され、ショックで死亡した。

 彭仕璞さん(50代女性)は、元四川広安華イン市肉聯工場の失業者である。法輪功を修煉する前に多種の病気を患っていた。毎年、医療費だけで数千元にも上った。法輪功を修煉してから、真善忍に照らして心性を修め、一銭もかからず健康になった。

 7.20以来、彭仕璞さんは法輪大法を修煉し続け、陳情に行ったため、広安、南充、重慶の警官に不法に労働教養を3回強いられ、合計6年以上も拘禁された。この6年間で、彭さんは残酷な拷問を受けた。

 2002年に彭仕璞さんは、初めて労働教養を強いられ、釈放されてから自宅にいたところを、華イン市派出所と公安局の警官に騙されて派出所まで連行された。その後、悪らつな役員に私生活を妨害され、やむを得ず路頭に迷った。

 2002年7月ごろ、彭仕璞さんは南充で警官に連行された。二度目の拘禁は、悪名高い楠木寺女子労働所で2年間にわたった。2005年8月、彭仕璞さんは華イン市の警官に私生活を妨害され、再び路頭に迷った。

 2005年9月27日、彭仕璞さんは重慶で警官に連行され、不法に重慶女子労働所に拘禁された。2年後、刑期を11日間過ぎて、2007年10月7日に釈放された。

 彭仕璞さんの80代の母親は重病を患い、一人で生活できず、釈放されてきた娘にやっと会えると、涙ながらに「あなたが私のそばにいなかったら、生きても仕方ない」と言った。

 彭さんの母だったは、体調がだんだん回復してきた。しかし10月11日夜、広安政協から来た書記・鄧、街道書記・朱大蓮、街道会計、派出所の警官は家に侵入し、尋問しようとした。彭仕璞さんはそれを拒否したが、警官は当日夜に再び乱入し、彭仕璞さんを洗脳クラスに連行しようとした。年老いた母親はショックを受け、翌日の朝に悲憤のままこの世を去った。

 2007年10月21日


(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2007/10/20/164869.html