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秦皇島山海関の修煉者・トウ文陽さんの遺体はすでに火葬された

(明慧日本)秦皇島市山海関の法輪功修煉者・トウ文陽さんは2007年9月26日、再度強制連行され、10月8日、保定高陽労働教養所で迫害されて亡くなった。家族は仕方なく火葬に署名した。教養所は家族に二つの方法を選ぶことを要求した。一つはいわゆる「協議」、示談にするか、もう一つは法的に告訴するか、しかし、家族には当時の鄧さんのいかなる情況も教えず、そして彼らは訴訟手続に入るように催促し、判決を下すことを要求した。

 家族はすでに弁護士に頼み、トウさんのために無実の罪を晴らしてもらった。国内外の正義の人々は鄧さんの家族に関心を持って支援し、世の中に一つの正義と公正な道理を返した。

 トウさんは亡くなる前、ずっと手錠、足かせをつけられ、外陰部には血痕があった。トウさんは生前、38軍のある病院で「緊急処置」を受けたことがある。臨終の時にも依然として手錠をつけられていた。遺体には点滴をした針の跡を発見していない。その病院には外来診療はなく、ただ軍隊内部の診察だけに責任を負っていた。病院はすべての詳しい診療記録を提供していない。

 トウさんが迫害されて死亡したことについて、山海関公安局と610弁公室には逃れられない責任がある。第一、トウさんは労働教養され、家族はいかなる労働教養の手続きも受け取っておらず、迫害されて死亡した。第二、トウさんは労働教養を科されたのは2回で、1回目は8月30日、警官がトウさんを高陽労働教養所に送り、健康診断が不合格になって断われた後、家に返した。その後、1カ月も経たないうちに、また労働教養を要求し、家から担いで行った。その時、体を検査しないままで合格になったのか? 第三、トウさんの命が危うくなったことを家族に知らせず、そしてトウさんについての情報提供を拒否し、家族との最後の面会をさせなかったかったことである。

 トウ文陽さん(30歳ぐらい、男性)はもともと山海関橋梁工場の従業員であった。法輪功を修煉していたため、1999年に不法に3年の労働教養を科せられ、開平区の労働教養所に送られ、拷問され苦難を受け尽くした。また保定高陽労働教養所に転送されて迫害を強いられた。2007年8月15日、再び警官に強制連行された。8月30日、警官は法輪功修煉者の鄧さんを労働教養所に送り、15日間「転向」しろとわめいた。健康診断が不合格で、労働教養所に断われた後に家に返した。 体がまだ回復していないままで、山海関公安局長・趙然は610弁公室のボス・張徳岳と30数人の警官を連れ、9月26日、再びトウさんの家に押し入り、彼をベッドから強引に連行した。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 2007年10月24日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2007/10/23/165075.html