日本明慧
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いつも人を救い済度するという慈悲心をもって三つのことを行う


 文/中国大陸の大法弟子

(明慧日本)今日、法を暗誦する時、「武術気功」の中の「その気功の人が筆で字を書いており、書き終わったら、一字ずつに、掌から気を発しましたが、発せられた気は真っ黒でした。頭に金と名誉のことしか考えていないのに、功などありえますか? その気もろくなものではないはずです」というところを暗誦して、急に悟ったのですが、私たちは三つのことを行う時に、私(し)や自己のためという基点に立ち、三つのことを完成させるという心を持って三つのことを行ってはいけません。そうしないと、三つのことを行う時に、効果の良い資料も作れないし、骨ばかり折れて成果が全然上がらず、更に損失をもたらしてしまう可能性があるのです。

 資料を作る時に、自分の次元の向上や威徳を築き上げることばかり考えたり、任務を完成させたりするという大法の要求に符合しない考えを持ってはいけません。もしこのような考えを持てば、それは低い次元に留まることになり、すなわち資料に「黒い気を発する」ことになるのです。そうすれば、仕上げた資料に人を救う威力があるでしょうか? 清らかなのでしょうか? 光り輝くのでしょうか? それは工場で製品を生産する時に、例えば、刀はもう仕上げたのに、刃が立たないとそれは不良品としか言えず、作用を果たせないことと同じなのです。だから、人を救うという慈悲心を持って、人々がこの資料をもらうことを妨害する一切の邪悪を一掃し、この資料をもらう人の背後にある邪悪をも一掃して、その人に「法輪大法は素晴らしい」ということを認識させ、邪党組織を脱退させるという信息を与えるべきです。そうすれば、資料はもっと人を救い済度する作用を果たせると思います。

 資料を配ることも同じです。任務を全うするという心構えを持ってはいけません。その心構えを持てば、他の同修がせっかく作った資料は、これにより人を救い済度する作用を十分に果たせなくなります。人を救いたい強い気持ちと慈悲心を持ってはじめて、よい効果を収められるのです。もし、資料を手にしながら、万が一何かあったらどうしようという考えを持ち、落ち着かなかったり恐れたりしたら、それは資料を台無しにするだけでなく、資料にこのような良くない信息を注ぎ込むことになり、自分に本当に危険をもたらすかもしれません。

 常人に向かって真相を伝えるときも同じです。この人を救いたい、救うに値するという考えを持って、その人を妨害する邪悪な要素を一掃して、初めて、よい効果が収められるのです。もし自分が正しい考えを持たなければ、それは相手に「黒い気を発する」ことになり、よい結果にならないのです。もし恐れる心を持ったりしたら、それは相手に邪な気を発することになり、とても危ないのです。

 邪悪を暴く文章を書くことも同じです。暴けば暴くほど迫害されるという考えを持ってはならず、その考えを持つと、それは文章に邪な気を発することになり、その文章は十分に作用を果たせず、かえって迫害を招いてしまうかもしれません。それも一念による違いでしょう。だから、文章を書く時に、真相文章が十分に作用を果たすように師父に加持していただいて、迫害者の背後にあるすべての乱神、黒い手、卑しい鬼、共産邪霊を根絶して、迫害者に真相を分からせ、迫害を止めてほしい、さもなければ、現世で報いに合わせ、直ちに報いを受けさせるという考えを持つべきだと思います。

 とにかく、私たちは三つのことを行う時に、いつも人を救うという純粋で清らかな慈悲心をもって初めて、私たちの願望を達成でき、よい効果を収められると思います。

 個人の会得ですが、不当なところがありましたら、ご指摘をお願いします。

 2007年10月27日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/10/24/165000.html