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内モンゴル:法輪功修煉者・侯維国さんが受けた迫害

(明慧日本)内モンゴル牙克石(ヤーコーシー)市の法輪功修煉者・侯維国さんは仕事を辞めさせられた後、2002年1月1日に北京に真相を伝えに行った。その後、警官に強制連行され、令状を提示しないまま強制的に労働教養所に2年間も監禁され、図牧労働教養所で迫害を受け、その後、侯維国さんは行方不明になった。

 侯維国さんは牙克石市森林公安局消防組に勤めていた。母親は陰暦2000年2月9日に亡くなったため、休みをもらった。その後、再び働き始めると、局長・林海清、副局長・李生力と国安大隊・孫傑は彼に、法輪大法を修煉しないように相談しに来たが、法輪大法を修煉し続けると話した後、退職届けを強制的に提出させられた。

 退職後、年寄りの父親と2人で苦しい日々を過ごした。2002年1月1日、法輪功の真相を伝えるため天安門広場に行った。広場の警官らは令状を提示しないまま強制連行し、平谷県公安局留置場に身柄を拘束した。その期間に、受刑者に冷たい水をかけられたこともあった。

 2002年1月4日、2人の牙克石市の警官は、侯維国さんを牙克石市森林留置場に移し、2002年5月12日までの2年間、内モンゴル興安盟紮賚特旗圖牧吉勞教所に、令状を提示しないまま強制的に監禁された。

 2002年陰暦の4月8日、警官・張亜光は侯維国さんに、「転向しようとしても転向させる、転向しようとしなくても転向させる、とりあえず死ぬほどの痛みを与え、強制的に転向させてやる」と叫んだ。警官の張亜光、劉寶軍と陳強は彼を殴り、床や壁が鼻血だらけになった。

 監禁されていた間に圖牧吉労働教養所の警官・張亜光、陳強、孟慶才、聶、王怡平、宋靖らは何度も侯維國さんに暴力を振るい、思想改造させようとした。陳強は彼の頭を壁にぶつけたこともあった。

 精神的かつ肉体的な迫害により、疥癬が体中に感染し、ひじ、踝(くるぶし)、ひざにひどい傷ができたため、歩くときには壁などを伝ったり、階段を下りるときには人を頼ったりしないとできない程になった。監禁されていた間、父親は息子のことを心配して世を去った。家族が面会を申請するたび、労働教養所副所長・教富有はいろいろな言い訳をして、許可をしなかった。2003年10月4日、期間満了となり、釈放された。

 侯維國さんは現在、行方不明になっている。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 2007年11月1日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2007/10/24/165141.html