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たくさんの習慣的な認識を変える


 文/中国大陸大法弟子

(明慧日本)私たちが本当に法を師にして、法を正す中で、師父の要求された通りに絶えず行えば、世の中、特に中国大陸で衆生が堂々と真正面から大法と「三退」を了解する環境を切り開くことができると思います。迫害が発生した最初のころ、師父は「待たず、頼らず、外的な要素の変化に期待を託さないでほしいのである」(『北ヨーロッパ法会の皆さんへ』)と教えてくださり、その後、師父はまた「実は常人社会で起きた全ては今日においても、皆大法弟子の心によって促成されたのです」(『2002年米国フィラデルフィア法会での説法』)と教示してくださいました。

 法を正す過程が今日に至るに従い、我々は神の状態をもって、大法により作り上げられた神としての正念と能力を持って、初めて本当に中国大陸で衆生に堂々と真相を分からせる環境を切り開くことができると、私はますます認識するようになりました。明慧ネットでの同修の交流文章からも分かるのですが、それらのよく行った同修は他ならぬ皆師父の要求される通りに、堂々と真相を伝えているのです。私達大法弟子は一つの全体なので、全体として法の要求に符合した時に、本当に大法は中国大陸で妨害されないようにすることができ、更に多くの衆生を救い済度することができるのです。

 しかし、今、私達は形成された習慣的な認識をまだ変えていないため、旧勢力の按排を否定できないことがあります。いつも迫害を認めたうえで衆生を救い済度することになり、それにより、中国大陸での迫害は今日になっても依然として存在し、更に私たちの同修を迫害により、死亡させたこともあります。

 ここでインターネットの利用を通して、いかにして旧勢力を否定するかについて簡単に述べさせていただきます。

 2002年、私は明慧ネットに登録することができるようになりました。その時、同修が送ってくれたURLを利用して登録したのです。それに、そのURLを随分長く利用しました。私のコンピューターにファイアウォールも設置していなければ、登録してから記録を消さなければならないことも知らなかったのです。但し、明慧ネットに登録するたびに、正念を発してから登録できるのです。それに、明慧ネットからダウンロードする時も正念を発します。そうしなければ、いつもとても遅いのです。また、登録できない場合も、同じく正念を発することを通して解決したのです。ある日、登録する前に、妨害を一掃しなければならないと思うと、かえって登録できなくなりました。落ち着いて内に向けて探してみると、「敵を作る」という心を見つけました。つまり、先ず妨害があると想定して、それから妨害を取り除いて登録しようとしたのです。しかし、大法弟子として、大法のホームページに登録するのは当たり前のことで、なぜ正念を発しなければならないのでしょうか? それも旧勢力の按排した妨害を認めることになるのではありませんか? 正念を発することは間違いではありませんが、妨害を認めた上であればそれは問題になります。その法理が分かると、正念を発しないでまた登録し直してみると、素早く登録できたのです。

 その後、FREEGETというネット突破ソフトが開発されてから、それを利用して、ずっと便利になりました。FREEGEが何回かバージョンアップされましたが、今私は古いバージョンを使ってもまだ登録できるのです。

 またある時、私のコンピューターは電源が切れなくなり、また大法の書籍や真相資料を保存しているドキュメントも侵入された気配がしました。いつも海外のホームページを登録するので、ネット警察に監視されたかもしれないと夫は言いました。しかし、一方では、師父の、衆生は皆法のため来たのだという説法を思い出し、私のコンピューターも真相を伝える際の法器であると認識し、もう一方では、自分の恐れる心を見つけたので、正念を発してそれを取り除き、もし本当に誰かが私のIPに辿って、家に来たとすれば、それをきっかけに、その人に真相を伝えようと覚悟しました。そうすると、何日か後に、コンピューターは正常に戻ったのです。

 常人の方法で自分のコンピューターを保護しようと思ったこともありますが、同修とこのことについて交流すると、「中国では80%のコンピューターがインターネットを利用する時に、安全施策なんか採っていません。インターネットでも携帯電話や電話でも、本当の意味の安全は存在していません。必要以上に常人のやり方に頼る必要はありません」とその同修は言いました。私も同感です。長年来、ずっと師父が守ってくださったおかげで、順調に大法のホームページを登録してきたのです。常人の技術がそれほど分かっていないと、かえって、執着も少なくなり、常人のやり方に頼ることなく、師父の要求された通りにやっていけばいいと思ったのです。途中で出てきた問題も自分の心によって促成されたのです。だから。師父の要求された通りにすれば、すべてがとても平穏無事のように感じています。

 2002年、2003年の時、私はずっと1人で修煉しており、近くに知り合いの同修がいなくて、ただよその地区のある同修とよく電話で連絡していました。その時、中共邪党の新浪ネットで大法を攻撃する文章が載るとその同修はすぐ電話をかけてきて、その文章に反論するコメントを発表するように教えました。私たちのコメントは大体発表されましたが、後ですぐ削除されたのです。しかしたくさんの同修はこういうやり方で邪党の虚言を暴き出し、また大法弟子が真相を伝えることによって分かるようになった常人も、この迫害に反対していると私は信じ込んでいます。と言うのは、後になって、新浪ネットに何か大法を攻撃する文章が載ると、迫害を譴責するのを恐れるため、人々にコメントさせないようにしているからです。

 ネットだけでなく、携帯電話や電話、住宅団地や道路に設置されたカメラなども、みな大法のために存在しているのです。もし私たちがこれらの生命に対してたっぷりとした正念を持てば、それらのものが邪悪に利用されなくなると思います。

 私たちは真相を伝え、「三退」を勧める時に困難を感じたり、真相を伝える方法に「危ない」と感じたりする時は、別に本当に危険性があるのではなく、大体は我々が心性を高める必要があり、更に大法に符合し、更に自我を放下しなければならないときだと思います。

 常人の中で形成したさまざまな観念を放下し、大法弟子として行うべきことを行い、多く法を学び、如何なる事にも執着しなければ、自分が本当に果てのない法を正す機制の中で修煉し、真・善・忍の一粒子であり、師父の按排された中で法を正す道を歩んでいると感じられるに違いありません。

 以上は修煉中の個人の体験なのですが、不適当なところがありましたら、ご指摘をお願いします。

 2007年11月1日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/10/29/165454.html