日本明慧
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本当に自己を放下し、完全に全体に溶け込む


 文/中国大陸大法弟子

(明慧日本)一滴の水はいくら透き通っていても、やはりすぐ蒸発してしまうもので、大河に流れ込んで初めて留まることなく奔流していくのです。一人の大法弟子がいくら能力を持っているとしても、その一滴の水が本当に法に溶け込んで初めて三つのことをよく行い、衆生を救い済度することができるのです。

 師父のオーストラリア学習者への説法のビデオを拝見して、改めて師父が繰り返して、私たちの問題に対して教示しておられる説法を拝聴し、思わず胸が込み上げました。師父の広大な慈悲に浸って、私は涙をぽろぽろと流しました。これは迫害が発生して以来、中国大陸の大法弟子が初めて師父の姿を拝見したのです。

 法を正す過程に従って、大法弟子に対する要求もますます高くなってきましたが、オーストラリアの同修の問題は実は大陸の大法弟子の間でもとても普遍的なのです。

 大法弟子は一つの全体です。全体で一つに協調した時は更に大きな法力が現れるのです。大法によって作り上げた法を正す時期の大法弟子は偉大で、能力を持っているのです。大法の一粒子として、それぞれの大法弟子は皆異なる階層や業種で我々の行うべき「三つ」のことに励んでいます。しかし、よく妨害される最も重要な原因は、つまり我々がよく自分を正しく位置づけられないこと——自己に執着することです。自己の認識、自己の方法、自己の能力、自己の見栄えなどに執着し、あたかも自分のすべてがとても重要で、遥かに同修の認識、同修の能力、同修のすべてを超えて重要なようです。ところが、これらは大法より作り上げた無私無我、自分より他人が先という大法弟子の本性の表現と言えるでしょうか。それはちょうど私(し)のためにという古い宇宙の生命の表現ではないでしょうか。

 いつでも何処でも大法の基準に照らして、他人のことを先に考え、私(し)のためにという本性を変えなければ、大法弟子の能力は十分に発揮できず、邪悪に妨害される可能性があり、邪悪に妨害されることがおきるのです。大法弟子の全体、姿かたち、力もそれにより影響されることになるのです。だから、それは必ず変えなければならないと思います。

 問題やトラブルは必ず出るのです。しかし、もし私たちが「内に向けて探す」ことを頭に刻み、責めることも論争することもなく、恨みもなく悔しさもなく本当に慈悲なる心を持って同修と世の人々に対処し、本当に私(し)のためにという自己を放下しさえすれば、間隔を打ち破り、お互いに信じ合い、包容し合う環境を作り、更に多くの衆生を救い済度することができると思います。

 師父は安心できず、マイクを置いてはまた取り上げて、常人社会に戻ると、また意気地がなく同じ間違いを犯し、矛盾の中でお互いに責めたりして、更に常人に修煉者の問題の解決を頼むということを心配しておられます。

 師父は私たちのために焦っておられ、私たちが法理をできるだけ早く分かるように期待しておられます。

 師父は私たちのことを大事にしておられます。大法弟子の誰もが未来の宇宙の中で不可欠な位置があるし、法を正す時期の大法弟子の能力も大きいのです。これは言うまでもないことです。しかし、未来の宇宙での生命は大法を第一位と見なし、皆他人のために存在しているのです。だから、自分を大法の中、大法弟子という全体の中において初めて無限の能力と光り輝きが現れるのです。

 時間はもう差し迫っています。一旦チャンスを逃したら、とても後で補えないと思います。

 私たちは未来の覚者として、根気よく修煉し、自分のすべてを無条件に放下し、法を正すことに必要なさまざまなプロジェクトに無条件に協調して、同修の間の万古の機縁、衆生を救い済度することの一分一秒を大切にしましょう。

 2007年11月3日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/10/30/165465.html