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徹底的に迫害を終わらせるため,発正念を重視する


 文/中国大陸大法弟子

(明慧日本)直ちにこの迫害を終わらせて、それにより中国人を最大限に救い済度することは大法弟子の共通の願いですが、正念を発することは迫害を終わらせるために非常に重要な役割を果たしているのです。

 正念を発することに対して、師父は説法の中で何度も言われました。「正念を発する時に本当に心を静かにして、本当に正念の作用を働かせなければなりません。ですから、これは極めて肝心なことであり、極めて重要なことです。もし全ての学習者が皆このようにできれば、皆さんに教えますが、同時に正念を発するその5分間で、邪悪は永遠に三界内に存在しなくなります。これほど重要なのです。(『米国フロリダ州での説法』2001年12月29日)

 「全世界の大法弟子が同じ時間帯で正念を発するときの力量は計り知れないものです。ですから、すべての人が強い正念でこのことに対処し、最初からしっかり行なうことができれば、邪悪は今すでになくなっているかもしれません。多くの学習者は妨害されており、このことあのことで妨害されているため、しっかり行なうことができません」。(『2007年ニューヨーク法会での説法』)

 「一部の大法弟子は正念を発することを重視していないため、自分が妨害されるだけではなく、それらの邪悪要素はほかの弟子をも妨害しているのです。自分が行なうべきことでさえ、しっかりできないのでしょうか? 自分の分をしっかり行なうだけでなく、ほかの人のも手伝うべきです」。(『ロサンゼルス市での説法』2006年2月25日)

 「多くの学習者は正念を発することを重視していません。その大きな原因は敏感ではないからです。敏感かどうかに関わらず、師父に行なうようにと言われた以上、行なってください。必ず作用があり、決して形式的なものではありません!」。(『ロサンゼルス市での説法』)

 以上の師父の説法を通して、私は悟ったのですが、もし私たちがよく正念を発すれば、邪悪は或いはもう存在しない、或いは大法弟子が衆生を救い済度することが妨害できないくらい少なくなるまで清掃されてしまうに違いありません。しかし、たくさんの学習者は正念を発することを重視しないため、大法弟子が一体で正念を発する時に、空白のところを残してしまい、それにより、たくさんの邪悪は学習者が担当するこれらの空間で生き残り、まだ悪事を働き、迫害を維持しているのです。

 正念を発することはこんなにも肝心なのに、一体で正念を発する時に、参与しなかったり、参与したとしても、真面目にやらなかったりする学習者がいます。ですから、大法弟子は誰もが正念を発することを重視し、一体で正念を発する時に、状態のいい同修は正念をもって、参与しなかった学習者や状態の良くない学習者を手伝ったりして、大法弟子の正念の場に空白が無いようになるべく時間を延ばし、最大限に邪悪を取り除くようにしなければなりません。

 邪悪が取り除かれた分が多いだけ、迫害も早く終わらせることができるのです。それから、同修に極端に走らないように注意してもらいたいのです。正念を発することを重視するのは、別に正念を発することを、法を学ぶことや心を修めること、真相を伝えることに換えるという意味ではありません。それに、正念を発することも恐れる心を隠し、表に出て行かない口実になってはいけません。極端に走ること自体は正念のある行為ではありません。我々は必ず自分の修煉に責任を負い、衆生に責任を負わなければなりません。

 2007年11月4日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2007/11/2/165694.html