保定市公安局、タク州市公安局:修煉者・ケン俊花さんを不法に連行
(明慧日本)保定市公安局とタク州市公安局は、2007年9月12日の夜8時ごろ、法輪功修煉者・ケン俊花さんの借家に来て、ケン俊花さんと他の法輪功修煉者・任保坤さん、劉文さんを不法に連行して、タク州公安局に移送した。
警官は同時に物品や法輪功書類などを不法に略奪したが、その値段を合わせると10万元以上だという。今回の連行は保定市公安局とタク州市公安局が長期に亘って、携帯電話の電波を監視して行った犯罪である。
公安局の警官は9月12日の夜、ケンさんを鉄椅子の上に縛って、不法な審問をした。同時に審問を受けた法輪功修煉者は董漢杰さん、高春蓮さん、任保坤さんなどである。現在、劉文さんはすでに釈放されているが、他の法輪功修煉者は今でもタク州看守所に監禁されている。
ケン俊花さん(48歳女姓)は原涿州市商業局の職員である。ケンさんは1999年4月から法輪功を修煉して、以前かかっていた胃痛・頭痛・気管炎・角膜炎・婦人病などの数種類の病気が、法輪功の精進ですべて治療を受けずによくなった。この数年間の迫害中、ケンさんは不法に5回拘留され、1回労働教養を科された。
1999年9月、ケンさんは上京して法輪功の真相を伝えたが、タク州国保大隊は邢さんを北京から連れ帰った後、タク州拘留所に不法に監禁した。国保大隊の警官達は電気棒で腕から首まで電撃したばかりでなく、口も電撃した。その後、ケンさんの勤務先から1万元を騙し取った。勤務先は仕事か修煉かどちらか一つを選択するように迫ったが、ケンさんが法輪功の修煉を続けると言ったため、勤務先は解雇した。ケンさんを16日間監禁した後、謝玉宝などが所謂「転向」させようと迫害を続け、命が危なくなるまで迫害し続けた後、家族にケンさんを迎えにくるように伝えた。
2000年3月、商業局の祝永利は国保大隊の李保平らを連れて来て、ケンさんをタク州国保大隊に連行し、「法輪功の修煉を放棄する」という保証書を書くように迫った。邢さんが修煉を続けると言うと、警官・謝玉宝はケンさんを拘留所に送り、15日間監禁、その後釈放した。謝玉宝は邢さんの家族に、「家に帰ったら打て。法輪功を修煉する者を打って死亡させても、罪にはならない」と言った。
2000年7月、ケンさんは同修の家に行き、話し合ったことで、義合庄派出所により、不法に公安局に連行され、15日間拘留された。
2000年10月1日、ケンさんが北京に旅行した時、理由なく北京公安局の警官に逮捕された。タク州市市長の秘書と国保大隊はケンさんを連れて帰った後、公安局に不法に拘留した。拘留所ではケンさんは断食で不法な迫害に抗議し、釈放を要求した。警官はケンさんを13日間監禁した後、看守所に送り迫害を続けた。看守所の警官はケンさんの手と脚に錠を付けて、3昼夜迫害した。10月20日、ケンさんを保定八里庄労働教養所に送り、3年間の労働教養を科した。
当日の午後、労働教養所の警官はケンさんを大の字形にベッド上で、4昼夜縛り続けた。2001年5月、労働教養所は法輪功修煉者に対して強制的に、「転向」させるため迫害した。警官・張浩新は7、8人の受刑者に指示して、ケンさんの腕や脚を引っ張って4階まで行かせ、強制的に転向をさせようとした。最初の3日間、警官は交代で、2時間ごとに監視役を替えて、3昼夜睡眠を禁止した。「転向」しないのを見て、4日目には、大の字形でベッド上に縛り、睡眠を禁止したり、ベルトで打ったり、顔を打ったりした。また、手を暖房管に縛り、脚をベッド上に縛りつけた後、もっと苦しめるため、ベッドを力強く引っ張って、手錠が肉に食い込むようにした。ケンさんが法輪功の本を暗唱したので、警官は受刑者に指示して猛打させた。このようにケンさんを16日間も残酷に迫害したため、手錠が肉に食い込み、手は饅頭のように腫れた。また、両腕には長期間に亘って深い痕跡が残った。
2002年、労働教養所は「転向」を拒否する法輪功修煉者に対して、強制的に重労働をさせた。仕事の内容は、どんな消毒施設もない情況下で、アルミを作ることであったが、修煉者達は朝7時ごろに出発し、午後4時ごろに仕事が終わってから、食事をすることになっていた。毎日の労働量は決まっており、仕事を完成しなければ残業を強いられた。毎日、非常に暑い部屋で鉄の梯子を持ち上げる仕事は、通常男性がやる仕事であったが、女性のケンさんにもやらせた。ケンさんはアルミの毒に反応が強く、胃痛・吐血・長期間の咳の苦しみで、体が非常に弱くなった。そこで、502部隊病院に行って検査を受けた結果、胃癌と診断された。ケンさんは歩くことすら困難になり、すでに労働能力を失っていた。そこで、ケンさんは労働教養所に、釈放と家に帰っての休養を要求した。しかし、警官・張国紅は、「お前は息がある限り、仕事をしなければならない」と言った。ケンさんは立掌して正念を発したことで、警官・劉紫薇に3昼夜も立たされた。
2003年5月、ケンさんは迫害されて、後一息しか残っていなかった。そこで、労働教養所は、保外治療を許可し、家族にケンさんを家に迎えることを許可した。ケンさんが不法に労働教養されている期間中、夫は自分が悪い目に遭うことを恐れて離婚した。
現在、ケンさんは再び不法に連行され監禁されている。断食でこの不法な迫害に抗議し、釈放を求めている。タク州公安局の話によると、ケンさんに対して、不法な判決を下すことを謀っているそうである。
2007年11月6日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/11/5/166005.html)
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