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心性上で自己に厳しく要求することを軽視してはならない


 文/湖北の大法弟子

(明慧日本)最近、私達の地区の大法弟子の中で、自分も含め、一つの普遍的な現象が出現しました。つまり、個人の修煉をなおざりにし、心性上で自分に厳しく要求することを軽視し、トラブルに遭って心に触れると、内に向けて探して自分を修めることができません。ある修煉者はどのように自分を修め、自分に厳しく要求するかが分からなくなり、長期間にわたりだらけていたため、大法の要求に合わない言行が現れました。「無私無我で、なおかつ他人を先に自分を後にする」という修煉最終目標でさえも心に置いていないのです。多くの修煉者は真相を伝え、衆生を救い済度する事に心をくだきよくやっています。私について言いますと、毎日自らを大法弟子だと認識して、師父の後期経文をたくさん学び、大法弟子の将来は比類なく神聖であり、偉大で、幸運であると知っています。しかし日常生活の中では、心性の表現は却って後退しています。時にはしっかり把握できない時もあります。私達すべてが今後これを重視し、全体が高まるよう望んでいます。

 ある段階、真相を伝えた後に、喜び、リラックスした気持ちがあり、する前には、心配、緊張した心が現れることに気づきました。覚者が衆生を済度しているのだと考えたでしょうか? やはり自分が何かをしており、その根源を追ってみると、自分が根本的に利己的で、私心がとても深いところに隠れています。私達の持っている能力の中で、金銭・時間・精力も含めて、どのくらい大法に用いていますか。どの程度、安逸の生活を享受するか、或いは「人間的な打算」をするつもりでしょうか。

 両親を例にして言うと、両親は古い学習者と言えます。2人の定年退職後の年金収入はとても手厚く、また負担もなく、新しい家具・家電・衣服・靴などを買い入れますが、お金を出して真相の資料を作るのはとてもけちで、毎月やっと50元を出して資料を作り、何万元も貯金して「老後のために」用意しています。兄も大法弟子であり、私のように回り道をしたことがあります。長期にわたり外で商売をしているため、集団学法・交流の環境がないので、問題の重大性を意識できず、たくさんの執着心と人の情が表れても自覚できず、衣食住は全てブランド品や正統品や高級品を求め、帰宅の便利を図るために、また乗用車を買うつもりです。

 私達は「無私無我で大法を実証し、無私無我で衆生を救い済度して真相を伝えるべきだ」と思います。ずっと前、私はこれを悟って修煉心得ノートに書き留めました。その後、夢の中で師父が手引きして教化し、教室の中で私は最初に試験の答案を提出しました。悟ったとしても、努力してやり遂げなければなりません。ここで書くことによってみんなと励ましあいたいと思います。

 色欲の関門を乗り越えることについて、師父は色欲という関門が、常人から修煉を開始する第一歩の大関門だと説かれ、そして色欲の関門を乗り越えられない深刻さを指摘してくださいました。しかし私はかつて修煉してからこのかた、ずっとこの関門を乗り越えられず、意気消沈し、どうしようもありませんでした。今この関門を乗り越えました。いくつかの経験があります。

 一、発正念。発正念は色欲の関門を乗り越える法の宝ですので、自分を邪魔する邪悪に対して専ら発正念し、体すべての細胞を活性化させます。寝る前、目覚めてから発正念し、また駄目になれば、夜中に目覚まし時計で目を覚まして発正念します。

 二、生活の中で、頭の中によくない考えが浮かんできても、すぐに正法口訣を念じて、それを抑えて取り除き、それによって次のよくない考えが出ないようにします。人の考えが現れ、あるいは街中に出た際に目、耳に邪魔が入っても、一番目の念は所在がなく、興味を引くことはありません。

 三、多くの苦しみに耐え、生活は安逸をむさぼることなく、考えと精力をすべて三つの事に注ぐ修煉者、特に正法時期の大法弟子は、時間が切迫した中での緊迫感や苦しみや苦労の感覚がなくてはなりません。

 私達すべてが共に精進できるよう望んでいます! 至らないところがありましたら、慈悲をもってのご指摘をお願い致します。

 2007年11月9日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/10/27/165364.html