日本明慧
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修煉状態は、学習者が直に『師と法を信じる』ことの表現である


 文/シドニー大法弟子

(明慧日本)『法輪大法—オーストラリアの学習者に対して法を説く』を何度も拝読いたしましたが、拝読するたびに自分の不足を見つけたのです。奥州全体の一員として、自分が長い間法に基づいて正しく歩まなかったことに対して辛い思いをしています。自分の恐れる心、人に依頼する心、利己心のせいで、大法と全体をよく守ることができず、衆生を救い済度する過程で取り返しのつかない損失を残してしまいました。

 私は、同修にこのような文句を言ったことがあります。なぜだか分かりませんが、私が出会った同修は皆とても自己心の強い人です。彼らはことを行う時¤更に「大きな事を行う」ことによって自己を実証することに執着し、衆生を救い済度すると言う神聖で厳粛なことを、常人の中での迫害に反対することのように対処しているのです。これらの修煉者と、法に基づいて交流してみたことがありますが、最終的には自分は「排斥」され、冷遇される結末となりました。最初の頃はイライラしていましたが、だんだんと、どうしようもないと思うようになり、最後には無関心になり、自分のことだけをよく行えばいいと思ったのです。

 シドニーには私のような同修は他にもいると思いますが、最後には全体的に観て仲のいい何人かだけで何かを行うか、自分一人で行うかといった正しくない場面になってしまいました。今、分かったのですが、自分が同修を包容し、善意をもって接する心を持って、大法と全体に責任を負うという立場で物事を考えることができず、自分の観念に執着し、トラブルから逃避して、自分が傷つけられないように守ろうとしていて、正の要素に責任を負う、他人のためにと言う無私無我の覚者という境地の要求からずいぶんかけ離れていたのです。

 最近、私はこんな夢を見ました、自分が地下室のようなとても狭いトイレにいますが、ずいぶん工夫して、そこをちょっとゴージャスな、自分の好みに合う部屋に内装しました。また臭い匂いがすると、トイレだと分かるので香水をかけました。目が覚めてからも、そのなんとも言えない匂いがまだ感じられるのです。私は分かったのですが、修煉者としては汚い心を取り除かなければ、大法のことをいくら多く行っても、きれいな飾り物で最も汚いものを覆い隠し、さらには自分を欺き、他人をも欺くことになるのです。

 ここで、私が気付いた同修の不足も述べてみたいと思います。不適当なところがありましたら、ご叱正をお願い致します。

 一部分の同修は、全体で大法を実証し衆生を救い済度することを行う時に、自分が他の学習者より偉いと思う心があり、自分は一番能力があると思っていて、他の修煉者の出した意見や指摘を皆妨害と見なし、排斥しようとしています。ある人などは、自分が何かの官僚で特権がるかのように感じ、自分が修煉者で、如何なる事でも内に向けて探すということを忘れています。他の同修は彼の考えに基づいてやらなければならず、そうでなければ協調性がないといい、法を用いて他人に要求し、自分には求めません。

 長い間事を行うことに執着して、心を静めて法を学ぶことができず、法に基づいて確実に修めることなく、大法の仕事を沢山行うことで、法を正す進展についてきたと思っており、精進していると思っているようです。また一部分の修煉者は、人となにかをするとき、大法弟子としての責任や、修煉総体に対して、まだそんなに強く意識していません。

 奥州の全体的な状態から観て、海外の修煉者との差がこんなに大きいのは、いろいろな原因があると思いますが、個人の認識としては、その中の一つは人心がまだ重いことから大法を深く認識することがでず、正真正銘の「師と法を信じ」確実に修めることができないからだと思っています。

 大法は宇宙のすべてを作り上げました。何もかも皆大法から来たのです。

 今、私達は幸いにも法を得て、宇宙の中で最も幸運な生命になりました。もしそのすべてを大事にしなければ、師父の慈悲なる済度と、私達に限りない希望を託している衆生を台無しにするのではありませんか?

 常人の中で、いくら能力があってもやはり常人であり、修煉者が修煉する過程の中で、法に対する理解も、自分のいる次元では果てのない大法に対するほんの少しの認識に過ぎません。人間は足で歩くことしかできませんが、神だったら飛ぶことができ、一念で万物を作り上げることができ、できないことはないのです。

 衆生を救い済度することの威力は大法全体の正念の場により現れたもので、それは法の威力であり、すべては師父がなさったのです。われわれは皆で法を多く学び、内に向けて探し、人心を取り除き、できるだけ早く追い付きましょう。衆生を救い済度する時、神の威力を充分に発揮し、法を正す進展の足を引っ張らないようにがんばりましょう。

 2007年11月15日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/11/12/166373.html